選挙のたびに思うこと
今度の日曜、4月23日に行われる衆院補選。私の実家はちょうど千葉7区にあるのだが、その関連で先週から今週にかけ、実績はともかく知名度の高い政治家連中が続々と乗り込んできては声を張り上げているようだ。
「どいつもこいつも良くやるよ、選挙でもなけりゃこんな所には来ないだろうにさ」とは我が親父殿の弁だが、街のあちこちには「○月×日△時、○○党××来たる!」という立て看板が出ていたようで、「命を狙う奴にとっちゃ絶好の機会だろうな…」とか考えてしまうのも無理はないだろう。
まぁそれはともかく、今度の補選は両陣営にとって非常に重要なものであるというのは判るのだが、やっぱりそこに住む国民の立場というのは考慮されていないように思える。自民・民主の候補者だけみても、かたや地元とは何の関係もない落下傘候補、かたや前県議とはいえ私より若く(一人だが「民主チルドレン」とでも言うか?)、その上いろいろ「問題」があると言われている方。どちらも「地元の声を反映させてくれるか」については甚だ疑問である。
自民・斉藤氏については「最初はグー、斎藤健」のフレーズのセンスもさる事ながら(「次はパー」という可能性が…)、「東大卒の元官僚」という経歴が平凡を通り越して若干の不安すら感じさせる。一方の民主・太田氏も、キャバクラ嬢とか補導歴以外にも、ググッてみるととてもじゃないが「人間臭さ」で片付けられるレベルじゃないものをお持ちのようで、この人を県議に当選させた松戸市民の見識を本気で疑ってしまう。
そんなワケで人間が選択材料にならないとなると、あとは政党や政策から判断せざるを得ないのだが。私はコイズミ政権は正直嫌い(評価しているのは中韓への姿勢とか公社の民営化くらいである)だが、かといって小沢新代表の民主党も御免被りたい(いきなり新代表に期待するほど私は楽観論者ではない)。また、その他の政党(公明含む)は皆ロクでもない連中ばかりで、自民以外に投票する事は日本を売る事に他ならない。…こう考えた場合、実質的な選択肢はもはや「ない」と言える。
嗚呼、私が心よりの一票を投じる事のできる政治家は、いずれ現れてくれるのだろうか…?
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