「美談」を鵜呑みにできない時代
…いやいや、昨日の日記は時間がなかった上、時事通信のあまりに黒さにプチ切れ気味だった事もあって、ほとんど殴り書きの状態でしたな。ちょっと反省。
だが、まとめサイトで各メディアの報道を眺めてみると、時事通信以外でもネットに批判的な見方をしている所が多いのな。そうしたメディアは記事の見出しに「非難」とか「中傷」とかいう文字を多く使っているが、連中はそれらの批判が根拠もないままに行われていると思っているのか?
そりゃあ「皆さんの募金で難病の子供が助かりました!」ってのは美談だし、それに難癖つける連中なんてのには「子供の命がかかってるんだぞ!」とか言いたくもなるだろう。だが集められたカネが、その目的とは違う用途で使われるような可能性があるとしたら、それを指摘するのは間違っている事なのか?税金だって「私的流用」とかが判明したら、メディアはニュースにして叩くじゃないか。募金と税金の差なんて「任意(善意)か強制か」ってだけじゃないか。
今回の募金詐欺?について、疑問点の数々は下のリンクを参照して欲しいが、何にしてもさくらちゃんの募金に関わっている連中が、あまりに不誠実だという感は否めない。「渡航や治療費」として集められた募金をスタッフTシャツやら事務所運営やらの経費として使ったり、本来なら費用を率先して負担すべき両親の申告が、ネットなどからの問い合わせがあった後だったり、「お前ら子供を本気で助けたいのか?」と思いたくもなるものだ。人様のカネを「私の娘のために出してくれませんか?」とお願いしてきた身の上でこんな調子では、非難を浴びても仕方ない事だろう。
子供には何の罪もない。問題があるのは不誠実な大人たちだ。そして、その辺りを理解しようともせず、ただ「ネットからの中傷があった」と過剰に反応する人権家気取りの輩が多すぎるのもまた問題。時事通信とか音羽某とか。まぁ、「死ぬ死ぬ詐欺」なんて名前も、連中を刺激する要因になっているような気がするがね。
…しっかし、日本でも15歳未満の小児からの臓器提供が認められたら、この手の疑惑のある募金活動ってのは減るのかねぇ…?
心臓移植:赤石朱里ちゃん「救う会」、渡航費など1億円目指し募金活動始める/埼玉
そしてまた新たな「救う会」が発足。さくらちゃんの件を含め、数々の前例を考えると、どうしても懐疑的にならざるを得ない。これは明らかに「そうした前例を作った者たちの罪」だろう。このニュースでは「現在は重度の心不全に陥り、集中治療室で投薬治療を受けている」との事だし、緊急性のない(と思われる)さくらちゃんの募金をこちらに回してはどうかね?
今日の某ラジオ番組から。
ゲスト「(山本モナの降板は)無言のアピールだったと思います」
DJ 「あっそう、『NEWS23』降板?」
ゲスト「降板されましたよね」
DJ 「え、無言のアピールなの?」
ゲスト「…『アンタもやめて』っていう事なんじゃないの?」
DJ 「誰に対して?アンタって…今2通り考えたんだけど…」
ゲスト「…それは、メインキャスターですか…?」
DJ 「…うん…」
大爆笑。メインキャスターの方には近いうちにもう一度「残念でした」と言ってもらいたいものですな。
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