誰が為の平和か
北朝鮮の核実験のものと思われる放射性物質が、発表があってから1週間近く経って、ようやく微量ながら観測されたそうで。「貧乏人のオナラは音ばかりでニオイが少ない」などともいうが、まさに北朝鮮の状況がこれに当てはまるのでは(笑)。それにしても、自分の所の庭先で舎弟が粗相をしたってのに、中露の親分さんたちはお優しい事ですな。
…さて、上の件に関する国連安保理の制裁決議がようやく採択された。「あくまで経済制裁」という決議であり、その措置の一つである「臨検」に対しては中国が早々に「賛成しない」と明言するなど不安材料もあるが、これまでの経過を考えれば「やっとここまで来たか」という印象である。当事者であるところの北朝鮮は早速この決議を「全面拒否する」と言ってきたが、制裁対象国が「制裁を受諾する」とか「拒否する」とか言うのは少々不思議な感じがするのだが。
まぁそれはともかく、「臨検」に対して日本がどのような対応を取るかについて、今回の対北朝鮮制裁を主導してきた政府がジレンマに陥っている。何が問題なのかは最早皆さんご存知だろうが、一応書いておくと「日本国憲法第9条」。これが日本の「臨検」を事実上不可能なものにしているそうで、またその代替措置を定める法令も不十分な点が多いとの事。全くもって困ったものである。(参考・日本の船舶検査の制約について)
脳内お花畑のサヨク連中が金科玉条としているこの「平和憲法」だが、肝心な時に国民を守れずして何の「平和憲法」であるか。いざ有事が迫ったとして、実際にコトが起きなければ何の動きも取れない、そんなものでも「平和憲法」と呼べるのか。大戦後にGHQが草案を作成した事や、現行の平和憲法下において、国民が自身の平和を守れないような状況がまかり通っている事を考えれば、「平和憲法の『平和』が誰の為の平和であるのか」という問いには簡単に答えが出る。
国家の憲法で謳うべき「平和」とは、「個人の平和」でも「周辺諸国の平和」でもなく、あくまでも「国民の平和」であろう。それは老若男女を問わず、自衛隊員だって例外ではない。この期に及んでその辺を(あるいは意図的に)勘違いしている人間がこの国には大勢いるようだが、そういう連中と運命を共にするのは御免である。
今、北朝鮮の脅威が迫っている中で、我々は一刻も早くこの状況を正さなければならない。勘違い連中はそうした動きを「戦争への道を開くな!」などと吠えたてるが、近い将来、間違いなく北朝鮮はさらなる暴挙に踏み切るだろう。そして、次に採択される制裁決議に「7章42条」が盛り込まれるであろう事は想像に難くない。
「戦争などない方がいい」なんてのは子供だって判る事だが、北朝鮮の行為は進んで自らをその状況に追い込んでいるようにすら思える。この流れは北でクーデターでも起きない限り、最早止められるものではないだろう。もし「その時」が訪れた際には適切な対応が取れるよう、政府には入念に準備をしておいてもらわねばならない。安倍首相に期待する。
…まぁ、国内の法整備が有事に間に合わなかったとしても、アメリカさんには「平和憲法を押し付けたツケ」を払ってもらわないといけないし、少なくともこれまで払ってきた「思いやり予算」の分くらいは働いてもらわないとな。ヨロシク!
今日の読売の社説。見ていない人はちゃんと見るように!
そして毎日にすらイジメられるアカピー。
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