今年最後の「お前らが言うな」
【気に入らない記事を書いたジャーナリストを脅すため、その息子を襲う。この卑劣きわまりない犯行が断罪された。
ノンフィクション作家として知られる溝口敦さんが昨年12月、暴力団山口組の組長交代をめぐる記事を雑誌に書いたのが発端だ。その内容について組幹部から訂正を求められた。拒んだところ、1カ月後、路上を歩いていた溝口さんの長男が太ももをハサミで刺され、約2週間のけがを負った。
やがて3人の元組幹部らが逮捕され、傷害罪などで起訴された。実行犯の2人には懲役6年と同4年の判決が出た。今月には、この2人に犯行を指示した山口組系暴力団の元組幹部にも3年6カ月の懲役刑が言い渡された。
東京地裁八王子支部は犯行の動機について、溝口さんへ報復するとともに、これ以上関連記事を書かないように警告するのが目的だったと認めた。そのうえで、「被害者はかかわりのないことで突然襲われ、著しい苦痛と恐怖を味わった」と述べている。
暴力や脅しで言論を封じたり変えさせようとしたりするのは、到底許しがたい。まして、家族を狙うなど、いくら批判しても批判しきれないほどだ。
元幹部の判決で注目したいのは、「被告は首謀者から、被害者を襲う旨を告げられた」と指摘したことだ。だが、裁かれたのは、黒幕から命令を受けた指示役と、それを実行した末端の2人にすぎない。首謀者が特定できなかったからだ。
溝口さんの長男を襲え、と指図した当人はのうのうと暮らしているのだろう。捜査当局は首謀者を割り出して、厳しく責任を問わなければならない。
溝口さんは「首謀者が捕まらない限り、別の部下に別の犯行を命じることができる。結局、言論へのテロはなくならず、首謀者の思いのままになる」と語る。民事裁判を通じて首謀者を明らかにするため、来年早々にも、暴力団を相手取って訴訟を起こすという。
溝口さんは、取材が難しい暴力団や消費者金融、パチンコ業界の内幕に迫ってきた。90年には「五代目山口組」を出版したが、その3カ月後、何者かに背中を刺され重傷を負った。この事件の犯人も捕まっていない。
ことしは、4月に拉致被害者の横田めぐみさんの写真展に対し、脅迫状が届き、会場が変更された。7月にはA級戦犯合祀(ごうし)をめぐる昭和天皇発言を報じた日本経済新聞社に火炎瓶が投げ込まれている。8月には自民党の加藤紘一氏の実家が放火された。
表現活動などへの暴力はあとを絶たない。個々の言論に突きつけられる刃は、民主主義で成り立つ社会全体にも向けられている。沈黙していれば、テロはますますはびこる。犯行はそのつど厳しく断罪し、追いつめなければならない。
溝口さんの長男の事件では、日本ペンクラブが抗議声明を出した。こうした輪を広げていきたい】
朝日の社説。「言論に対するテロ」も言論テロだが、「言論によるテロ」も言論テロと言える。この社説の内容も、ちょっと変換するだけでメディア(主にサヨ)への批判文章に早変わりだ。「靖国神社を国際問題化させた当人はのうのうと平日のニュースで寝言を述べているのだろう。当局は厳しく責任を問わなければならない」とかね。加T○(伏字)とか。ああ、日本語って素晴らしい(笑)。
【二〇〇六年が暮れます。振り返れば、あちこちで「私(たち)さえ良ければいい」という自己中心主義が目立つ年でした。あらためて「私」と「公」を考えます。
「賢い主婦はスーパーで手前に並んでいる古い牛乳を買う」
日本新聞協会が募集した「新聞広告クリエーティブコンテスト」の最優秀賞に選ばれた作品「エコ買い」の惹句(じゃっく)です。牛乳パックに記したこの言葉の横に説明書きがあります。
<自宅の冷蔵庫では古い牛乳から飲んでいるのに、スーパーでは新しい牛乳を買っていませんか? 新しいのから売れていくと、そのぶん古い牛乳は売れ残ってしまいます>
■エゴからエコ買いへ
はっとする提案が続きます。
<日本では毎日約2000万人分の食料が、賞味期限切れなどの理由で棄(す)てられています。できるだけ売り場の古い牛乳を買いましょう>
審査委員の一人が「商品棚の奥にある新しい商品を取る行為は、私もしていると罪悪感を持った。自分さえ良ければいいというエゴ」と語り、エゴでなくエコ買いをという生活者の視点を高く評価しました。
もちろん、反論はあるでしょう。でも、ここで考えたいのは「自分さえ良ければいい」という意識です。多くの人たちが社会や公共の問題を遠ざけ、狭い領域にしか関心を持たなくなったという風潮です。
電車の中で足を投げ出して座ったり、携帯電話を使ったりする姿はもう日常茶飯です。図書館で借りた本のページや写真を切り抜いたりする被害も増えたといいます。それぞれ電車内や貸し出し本の公共性を無視する自分勝手です。
拝金主義という世相の反映がライブドアと村上ファンドの事件です。「人の心は金で買える」。堀江貴文社長(当時)は言い放ちました。
岐阜県庁の裏金問題や、福島、和歌山、宮崎の三県知事が逮捕された官製談合事件も、公金意識に欠けた自分本位があらわでした。
会社の利益になるなら何をやってもいいというモラルハザード(倫理観の欠如)も目に余りました。ガス機器メーカー「パロマ」の湯沸かし器をはじめ、エレベーターやシュレッダーなどの不具合が発覚し、製品の安全性を軽視した死傷事故が相次いだのはその例でしょう。保険業界の保険金不払い、証券大手の不正決算も記憶に新しいところです。
■「そろばん」と「論語」
日本資本主義の父と言われる渋沢栄一の言葉に「右手にそろばん、左手に論語」があります。経営者は金勘定だけではなく、道徳や倫理を考えよ、との教えです。
現代にも十分に通用する教訓ですが、今は「右手にパソコン、左手に経済誌」でしょうか。迅速大量の情報を駆使して、効率よく収益を上げる市場原理が支配しているのです。
損得勘定は、教育界でも見られました。高校の単位履修漏れで「不公平」が問題になったのです。
必修教科を履修した生徒が「損をしない」ように、受験用に別教科を学んだ生徒が「得をしない」ようにというのですが、情けない話ではありませんか。損得でなく高校教育のあり方こそ議論すべきでしょう。
「楽しければいい」「私が困らなければいい」。公の領域にはかかわりたくないという、そんな人たちの意識の裏に挫折感や絶望感を見る識者もいます。自分一人が公に関与しても何が変わるのか、という感覚です。政治に対する無力感です。
でも、社会からの引きこもりは、参加が基本の民主主義の危機につながります。戦前の国家統制による「滅私奉公」はごめんですが、「滅公奉私」も危険な道です。
一方で、市民が安心して暮らすための仕組みが壊れかかっています。高齢者が生きるため空き缶を拾い集める姿は、社会保障の現場への負担強化がもたらした厳しい現実の一つでしょう。
さらに、家庭や家族の役割低下、教育の混乱、地域コミュニティーの衰退、雇用制度の変化など、かつて世界に誇った日本的システムがうまく機能しなくなっています。
換言すれば、若者たちが仕事に就き、結婚して、子どもを育てていく社会の再生産の仕組みが大きく揺らいでいるのです。出生率低迷の原因の一つは将来への不安です。加えて「勝ち組」「負け組」の格差が閉塞(へいそく)感を増幅しています。
■ほころぶ安全ネット
日本の社会が平等、公平重視から競争、効率優先に変わり、貧困や失業、病気などさまざまなリスクを直接個人に負わせる構造に変質しかけているようです。「小さな政府」政策や規制緩和などの“改革”で、社会保険や補助制度といった安全ネットがほころび始めたからです。
こういう世の中でいいのですか。「私」中心の生き方は、リスクの個人化と重なって、「私」へのしっぺ返しを招きかねません。社会全体の幸福を考える、新しい「公」の創造と参加が求められます。今年の漢字に選ばれた「命」は、地域と人が支え合ってこそ守られ、輝きます】
東京の社説も同様。確かに社会生活において公私の区別をハッキリさせる事は大切だが、紙面使って日々私的な妄想を垂れ流しているお前らが偉そうな能書きを垂れるなよ。だいたい社会の木鐸を気取るメディアが「滅私奉公」の精神を持たずしてどうするのか。そう言えば東京新聞は一昨日「飲酒運転根絶 甘い意識と決別の時」なんて社説も書いてたが、飲酒運転やった田島真一・中日新聞記者はその後どう処分したんだ?はっとしてる場合じゃないだろうが。続報を待つ。
…まぁ、昨日の中韓に続き、来年のサヨ共も今年と変わらない感じなんだろうねぇ…早くツブれますよーに。
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