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2007年1月21日

言葉のチカラ

週のはじめに考える 言葉の力を取り戻そう

【「はじめに言葉ありき」。人間活動を支えるその言葉の力が、弱まってきているようです。貧しい物言いが目立つ昨今です。日本語の豊かな力を取り戻しましょう。

 昨年二月に亡くなった詩人の茨木のり子さんに『さゆ』という詩があります。

 薬局へ

 -サユをください

 と買いにきた若い女がいた

 -サユ?

 -ええ 子供に薬を飲ませるサユっていうものおいくら?

 薬局は驚いて

 -ああた 白湯(さゆ)は買うもんじゃあ りませんよ

 湯ざましのことですに

■遠ざかりゆく日本語

 こんなふうに始まる詩の中で作者は嘆息します。「白湯もまた遠ざかりゆく日本語なのか…」

 十五年前に出版された詩集の一編ですが、日本語の揺らぎや言葉の乱れを指摘する声は、いつの時代でも共通してありました。

 しかし、今日の事態は深刻ではないでしょうか。電子メールの絵文字の流行なども言語世界にいい影響を与えてはいないようです。

 数年前、出版界を皮切りに「日本語ブーム」に火が付き、テレビ界で日本語バラエティー番組が急増したのも、混迷する日本語への危機意識に呼応したものでしょう。

 現在も続いているテレビ番組の一つNHK教育「にほんごであそぼ」は、古典芸能や方言、古今東西の金言・名言を取り上げ、親たちにも人気を得ています。落語の『寿限無(じゅげむ)』や狂言の『ややこしや』は、一大ブームを巻き起こしました。

 チーフ・プロデューサーが雑誌で番組制作の経緯を語っています。

 「以前ならまず家庭で、そして学校や地域社会で普通に耳にしていた昔ながらの言葉が、このままだと存在しなくなってしまう。それを残さなきゃという思いがあった」

 成果はありました。古くても魅力ある言葉はちゃんと子どもたちに伝わったからです。しかし、多様な日本語の文化を次の世代に引き継ぐ責務は、テレビだけでなく世の中全体が負うべきものです。

 昨年二月、中央教育審議会初等中等教育分科会は、審議経過報告で国語(言葉)の重要性についてあらためて次のように述べています。

 「言葉は、思考力や感受性を支え、知的活動、感性・情緒、コミュニケーション能力の基盤となる。国語力の育成は、すべての教育活動を通じて重視することが求められる」

 でも実態はどうでしょう。言葉はやせ細っています。少年たちが「ムカつく」「キレる」などと連発するのは、自分の気持ちを表現するのにそういう貧しい言葉しか持っていないからです。

■読み書き能力の低下

 子どもの学力低下も、根っこにあるのは言語能力、つまり読み書きや話す能力の問題です。雑誌「中央公論」二月号の特集「大学下流化時代」の中で、障害者施設を実習してもリポートが書けない学生が紹介されています。「(障害者が)かわいそうだ」としか表現できず、自分の感想や意見をどうまとめたらいいのかわからないと言うのです。

 これが大学進学率50%時代の現実の一面です。けれども、この学生ばかりを責めるのはちょっと酷です。きちんと教育をせずに送り出してきた中学や高校、さらには家庭にも責任の一端があるはずです。

 大学入試センター試験が始まりました。平成生まれの受験生が初めて挑戦しています。彼らが生まれた平成元年は、バブル経済がピークを迎えた年でした。

 バブル崩壊を経て時代は大きく動きました。現在もまだ先の見通せない曲がり道の途中なのでしょう。学力低下、不登校、いじめなど教育問題が噴き出したのも、次世代の育成に社会が指針を見失ったからとみることもできます。

 やはり「言葉」から始めるしかありません。まず、子どもたちに「もっとお話」を、学生生徒たちに「もっと本を」です。実利一辺倒ではなく、幅広い「教養」の復権を目指すときではありませんか。

 古典や名作、伝統芸能に親しみ、日本語の美しさや豊かさを知ってほしいのです。肥沃(ひよく)な言葉の土壌こそが考える力、人間性を育てます。

 安倍晋三首相にも注文があります。イノベーション(技術革新)だのインフラ(社会基盤)だのカタカナ語が多すぎます。「戦後レジーム(体制)からの脱却」など力んだ言い方ではなく、磨き抜かれた言葉が聞きたいのです。「美しい言葉」のない「美しい国」はあり得ません。

■自分の感受性くらい

 冒頭に紹介した茨木さんは昭和元年の生まれです。青春を戦争とともに送り、戦後の日本を見据えて確かで鋭い言葉を紡いできました。言葉と感性を大切にしてきた詩人が怒るように、あるいは励ますように綴(つづ)った詩は次の一節で終わります。

 自分の感受性くらい

 自分で守れ

 ばかものよ】

 「言葉のチカラ」という言葉をことさらに強調しなければならない連中を、私は信用しない。お前ら、何か後ろめたいところがあるんだろう?

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