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2007年2月 2日

本当にへたなんですねえ、記事づくりが

農水省の海外”日本食ミシュラン”そ上に

【「ニセ日本食退治」か、一種の「マル適マーク」制度か、農林水産省が海外にある日本食店の認証に乗り出すという。世界で人気の日本食に、現地風変わり種が多いのは事実だが“日本食ファン”は“日本シンパ予備軍”でもある。水を差すことが国益になるのか。ちょっとばかり、無粋でよけいなお世話なんじゃ?

 今や日本食を名乗るレストランは海外に二万店以上といわれる。中華レストランほどではないにせよ、世界の至るところで日本食を口にできるようになったのは、日本人にはありがたい。

 しかし、認証制度の導入に向け有識者会議を設置することを明らかにした昨年十一月の記者会見で松岡利勝農相はこう述べている。

 「日本食レストランと称しつつも、食材や調理方法など本来の日本食とはかけ離れた食事を提供しているレストランも数多い。日本食は世界的なブームになっているが、形だけ利用され中身が伴っていない。本物の日本食を世界的に広めることができないか」

 全米には約九千店の日本料理店があり、この十年間で二・五倍になったが、農水省によると「経営者が日系人なのは10%以下とされ、中国や韓国、ベトナムなどのアジア系が主流」という。

 食の大国フランスでも日本料理店が増加しており、パリと近郊だけで六百もの店が集中する。ここでも「日本食ブームに便乗し、中華レストランなどから業態転換したケースが多く、食材や調理法の間違ったものが日本食として認識されつつある」(同省)。

 すると、認証制度は「まがいものがまかり通るのはけしからん。“正しい”日本食店だけにお墨付きを与えよう」という単純明快な発想なのだろうか。

 実は最近、フランスで、一足先に「正統派の日本料理」を出すレストラン五十店を厳選したガイドブック(フランス語)が発行された。日仏両国のジャーナリストや貿易業者らでつくる「日本食レストラン価値向上委員会」が、事前連絡なしに「覆面調査員」を送り込み、味や品ぞろえ、雰囲気など十八項目の上位五十店を掲載したもの。日本貿易振興機構(ジェトロ)パリセンターも支援した。

 ただ、農水省の方は日本産農作物の輸出促進も狙いだ。農水省外食産業室の担当者も「食材となる農林水産物の輸出促進にもつながる」と貿易上の利益に直結することを認める。実際、日本料理店の増加を背景に、米国向けの農林水産物の輸出は一九九五年の三億六千四百万ドルから、二〇〇五年には一・六倍の五億九千万ドルに伸びた。

 ところが、認証基準などは、いっこうにはっきりしない。ミシュランよろしく店の格付けをするのか、一定基準を上回る店すべてにお墨付きを与えるのか。また「優良な日本食」の判断基準をどこに置くのか。寿司(すし)や天ぷらなどの古典的な日本食は可で、創作料理はダメということなのか。

 認証をするには料理のプロでもない外交官に任せるのか、それとも民間の駐在日本人か…。何を尋ねても同省の担当者は「そのあたりは有識者会議で検討している最中。今月中に提言をとりまとめる予定なので、今の段階では何とも言えない」と取り付く島がない。

 二〇〇七年度予算案にはこの認証制度のために二億七千六百万円が措置されているが、実は財務省原案ではゼロ査定だった。「こんなものいらない」と財務当局が判断したわけだが、松岡農相が大臣折衝でねじ込み、満額復活を果たしたという経緯がある。

 「いらない」と思われてしまったのも無理はない。自民党の中からも「日本人以外が経営する店の排除につながらないか」「そもそも政府が認証する必要があるのか」などの異論が出ていた。昨年十一月に開かれた第一回有識者会議の席上でも「排他的でなく、一定以上努力する人たちを認めていく制度に設計すべきだ」とくぎを刺す意見があった。それだけに農水省は「海外の優良店を支援する方向」(前出の担当者)を打ち出すことで「食品国粋主義」の否定に躍起になっている。

 「そんなの(やらなくても)いいじゃんね。ばからしいですねえ。日本人から見ると『これは絶対違うぞ』と思っても、外国人は喜んで食べているんだからさ」。東京・銀座の和食店「仲むら」の主人、中村寛一さん(56)は、こう笑い飛ばす。この道四十年。五時間かけてイワシを煮込み、三時間かけておからを作る和の料理人は、ニセ日本食に心を痛めているかと思いきや「(認証は)意味ないし効果もない」と、いたってクール。

 海外では板前の給料は高い。インドネシアに豪邸を建てた知人もおり、中村さん自身、日本の三倍の給料で何度も誘われたが、「和食を作るなら日本、それも銀座」との思いは変わらない。そんなこだわりの中村さんも「これが正しい日本食だって定義を決めるのは無理」と断言する。

 食と旅に詳しいフリーライターの佐藤晶子さんは「庶民の暮らしから生まれる食文化に国が口出しするというのがナンセンス。認定など無意味。つくづく成熟していない国だと思う。文化は人との交わりから生まれるものだから、混じり合っていくこともある。それを規制したり、正統性の概念を持ち込むのはおかしい」とあきれる。

 日本のイタリア料理も、ケチャップで味付けしたナポリタンから始まり、広まるうちに本物志向が芽生えた。ナポリに「スパゲティ・ナポリタン」がないのは有名な話。

 「世界に二万店」にしたって多すぎるのか。増加は自然淘汰(とうた)の前提だ。中村さんも「増えたのはいいんじゃないの。宣伝になるし、そこで食べた人が、日本で料理を食べたいと思えば。日本人もフランスまで料理食べに行くでしょ」と言う。

 佐藤さんは強調する。「海外で『おや?』と思う日本料理も、地元に受け入れられているのを見ると嫌な感じはしない。むしろ、食文化の違いを感じるきっかけ。その一皿が日本を知る入り口になり、そこから日本への興味や理解が深まるかもしれない。その方が、どんな料理を出しているかよりも大切では。本当の日本食を守りたいと真剣に思うなら、まず日本の食育でしょ?」

<デスクメモ> 「美しい国」の政官界の皆さま。和食の作法を無視した箸(はし)の持ち方で、肘(ひじ)をついて食事をかき込むお仲間をよく見かけます。伝統的作法ができなくて何が悪いと言うのなら、伝統的でない料理を受け入れる度量も持つべきでは? 税金使って日本シンパに説教垂れるなんてセンス悪すぎ。本当にへたなんですねえ、友達づくりが。 (隆)

 久しぶりに「和食認定制度」絡みのネタがあったので取り上げてみた。特にデスクメモの欄が放つ電波が強力すぎてもう大変。さすが東京新聞と言えよう。

 …ちなみに東京新聞では去る1月11日夕刊に、「世界の日本人ジョーク集」を書いた早坂隆氏が、和食認定制度について「農水省の意図は一定程度、理解できる」「自国の食文化に誇りを持ち、大切に継承していくことは人類の営みにとって大事」との記事を寄せている。「国粋主義の復活」などと書いたワシントン・ポスト紙に対しては「的外れ」とバッサリ。よそのひとが書いた文章は改変できねーもんな。
 あと、この記者を含めて「美しい国」という言葉を揶揄して使っている連中は、実はセンスが悪い、あるいはボキャブラリーが貧困なのではないかと最近思うようになった。「どんな事件でもこの言葉を絡ませれば政治批判につなげられる」なんて考えてるヤツ、意外と多いんじゃないだろうか?

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