【緯度経度】ソウル・黒田勝弘 韓国は謝るべきでない?
【米バージニア工科大で韓国人学生が銃を乱射し32人が死亡した事件が起きた時、1972年イスラエルで起きた日本赤軍によるテルアビブ空港襲撃事件を思い出した。
この事件ではパレスチナゲリラに加わった日本人青年3人が、イスラエルの空港で銃を乱射しイスラエル機の乗客など100人近くを殺傷した。なぜ思い出したかというと、韓国では今回、外国人による外国での犯罪に、その犯人が所属する国、つまり、韓国が謝るべきかどうかの議論が盛んに行われたからだ。
実は筆者はテルアビブ空港襲撃事件の際、現地に飛び約1カ月間、取材した。その記憶でいえば、日本政府は犯人が日本人ということで政府特使を派遣し、お詫びと哀悼を表し、たしか被害者のためなにがしかの慰労金も提供したと思う。
その時、日本では日本政府が謝るべきかどうかはさして議論にならなかったが、結果的にイスラエルでは官民挙げて「日本はそこまでしてくれるのか」とたいそう歓迎され、日本に対する評価はいっそう高まった。
余談ながら、イスラエルが攻撃されたこのテロ事件はパレスチナやアラブ世界では逆に喜ばれ、イスラエル占領地のガザやヨルダン川西岸を訪れるとパレスチナ人から「日本人カミカゼ、最高!」などとしきりに握手を求められたことを覚えている。
バージニア工科大事件に韓国国民は驚愕した。そして、米国社会はもちろん国際的に韓国および韓国人のイメージが傷つかないか大いに心配した。犯人のチョ・スンヒ容疑者(23)が、8歳の時に家族と共に渡米し米国で永住権を持つ“移民1・5世”だったとはいえ、韓国国籍で旅券を発給されている“韓国国民”だったからだ。
この心配は当然だろう。韓国政府は特使派遣を考えたが、米政府は「慰労だけでありがたい、特使派遣にはおよばず」との反応だったため取り止めたという。米国は多民族・移民国家であるため、犯罪者の人種や国籍を表だってあれこれいうことはあまりないからだ。
事実、韓国人の心配に対し米国では「個人の犯罪であり韓国、韓国人に責任はない」との意見が多く、在米韓国人も逆に慰められたといった話が数多く伝えられた。
韓国マスコミは当初から事件を大々的に報道した。米国以外ではもっとも大きく長く報道し続けたといっていい。やはり犯人が韓国人だったためだ。これも当然だが、その結果、「韓国、韓国人に責任はない」の声にホッとし、論調なども途中から「彼は米国育ちの米国人なのだ」とし、韓国人ということでのそれまでの興奮や心配を逆に反省、自己批判する方向に変わった。
その一つが韓国人を「民族自閉症」とする民族主義批判である。何事につけ「民族」にこだわりすぎる自民族優先、自民族至上主義が今回のような「集団的罪意識」を生むというのだ(中央日報4月25日付時評、朝鮮日報4月24付時論など)。
そこからさらに最近、韓国で韓国系として“英雄視”されている米アメリカンフットボール界のスター、H・ウォード選手への異様な関心の強さも自己批判の対象になっている。
このほか、美人ゴルファーのミシェル・ウィーも米国籍だが、その民族的血筋ゆえに大いに称えられ民族的自慢のタネだ。日本の若手財界人、ソフトバンクの孫正義氏も日本生まれ日本国籍で3世なのに、韓国では韓国人扱いだ。
今回、韓国国籍のチョ・スンヒを「人種、国籍は関係ない、米国人だ」というなら、成功者や人気者についても今後は“韓国”や“韓国人”を強調すべきではないだろう。「犯罪者は米国人で成功者は韓国人」では、それこそ自閉的民族主義である。
しかし今回、反省の対象として指摘された「集団的罪意識」の例になるが、事件直後、駐米韓国大使が現地で表明した「韓国と韓国人を代表しての遺憾と謝罪」をめぐる議論は興味深かった。韓国ではこの大使発言が大きな問題になり、マスコミなどから手厳しく批判されたからだ。「国、政府としては謝る必要ない。卑屈ではないか」というのだ。
しかし冒頭で紹介した日本の例のように、外交的にはありうることだ。それで外交的に成果を挙げればいいのだ。そこのところを「国が謝る必要はない!」などと意固地になる必要はないだろう。
この“突っ張り”ぶりにむしろ韓国の自閉的民族主義を感じる。日本政府のように謝りすぎるのも問題ではあるが】
先月のアメリカ・バージニア工科大事件で、産経ソウルの黒田氏がどのような文章を書いてくれるのか、不謹慎ながらも少々楽しみにしていた(笑)。特に太字の部分は正にドンピシャリである。
とりあえず韓国人は、暴行犯や放火犯を自分たちと同じ民族として認める所からはじめてはいかがか。何、別に無理を言ってるつもりはない、それらはむしろ朝鮮民族のお家芸なのだから。
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