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2007年7月 2日

東京新聞コラム6/.30~一生懸命持ち上げてます

東京新聞「筆洗」6/30付

【逆転の決め手は「環境との共生」だった。今年は見送りと思われた島根県大田(おおだ)市の石見(いわみ)銀山遺跡が、ユネスコの世界文化遺産に登録されることが決まった。地元紙は号外を発行、溝口善兵衛県知事も「県民の願いが通じた」と大喜びだ▼五月のユネスコ諮問機関の現地調査では「普遍性の証明が不足している」と登録延期の勧告が出て、地元は落胆した。だが、その直後からユネスコ日本代表部や文化庁、県の関係者が、登録委員会の各国メンバーに、説得の反転攻勢に出た▼大航海時代の海外文献や銀精錬の工程の詳細を補足資料で提出した。とりわけ江戸時代、廃鉱跡に植林した先人の環境への配慮が、アジアや中南米代表から「未来につながる」と絶賛され、流れが変わった▼新緑の季節に、この銀山遺跡を訪ねたことがある。川沿いに延びる緑のトンネルをくぐりながら、坑道跡の一つ「龍源寺間歩(まぶ)」に潜ってみた。全長六百メートルの入り口から百五十メートルほどを歩いて見学できる。手を伸ばせば届く両側に、ノミ跡が確認できた▼石見銀山は十六世紀に開発が始まり、「灰吹(はいふき)法」の導入で生産が拡大、最盛期には世界の銀産出量の三分の一を占めた。戦国大名の尼子氏、毛利氏が争奪戦を演じ、豊臣氏を経て江戸幕府の天領となる▼十六世紀のポルトガルの世界地図には「イワミ」の名が記される。ジパングへの憧(あこが)れ、鉄砲やキリスト教伝来の裏に、スペイン、ポルトガルによるこの石見銀をめぐる覇権争いがうかがえる。世界史読み替えへの関心もそそられる今回の登録決定だ】

 いい加減な記事を書いた責任は、後でキッチリ取らされるといういい見本ですな。

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