ヒトの親は動物の親に劣るか
●子連れで外食したい。子供が騒いでも大目にみてほしい。君も子供を持つ親になる可能性があるのだから…朝日新聞記者(「痛いニュース」様)●
昨日ちょっとした買い物があって、近所のショッピングモールに行った。数ヶ月前にできたばかりの所で中のテナントも若者向けばかり、連休の最終日という事もあって、中はカップルや若い家族連れで混み合いもう大変。出不精の私としてはあまり嬉しくない状況だ。
このショッピングモールにはレストランのコーナーに隣接して結構広いゲームコーナーがあり、そこにはプライスゲームやメダルゲームの機体が大小取り混ぜて並んでいる。買い物も滞りなく済み、ちょっと時間に余裕ができたので中を覗いてみたのだが、その中の光景には少々驚かされるものがあった。
と言うのも、メダルゲームのコーナーに、子供がうじゃうじゃ湧いていたのである。それも、年齢はせいぜい小学校3~4年くらいまでのガキんちょ。そいつらが大人に混じってビンゴゲームの画面を食い入るように眺めていたり、スロットの台の前にいたりするのだ(当然、座っているだけではない)ガキの人数はゲームコーナーの1/3、もしかしたら半数近くもいたかも知れない。
私の認識が古いのかも知れないが、メダルゲームのコーナーなんてのは、普通そんな小さな子供がいるような場所ではない。おそらくあそこにいた子供の多くは、いくばくかのお金を与えられ、親の買い物を待たされていたのだろう。子供の管理とか情操教育とか、それらをひっくるめたいわゆる「親の責任」ってヤツは、一体何処へいってしまったのだ?
確かに、子供がまだ赤ちゃんである場合、放置は親としてもってのほかだ。どうしても外出しなければならず、他人に預けるなどの手段も取れない時は、共に外に出るというのも止むを得ないだろう(それでも居酒屋なんぞに連れて行くのは好ましいとは思えないが)。子供が少し大きくなったとして、外食に出たりするのも構わない。だが、子供を連れている以上、その監督責任は当然親が負うものである。社会に甘える以前にその覚悟がない、または覚悟があっても守れないのであれば、子連れの外出など控えるべきではないか。
子育てのストレス解消をしたいという気持ちもわかる。だが子供が身近にいる時、親がその責任を負うのは義務であって、それと個人の楽しみとはキッチリ区別してもらわなければ困るのだ。親の責任よりも個人の楽しみを優先した結果、悲惨な結末を迎えたという例は枚挙に暇がなく、まして報道に携わる人間ならそんな話は山のように見聞きしているはずである。そうした現状において、社会の木鐸たるマスメディアが「個人の楽しみも優先させてほしい」とはどういう事だろう。
ネンブツダイは卵を口の中に入れて守り、孵化するまでは何も食べない。コウテイペンギンも60日もの間、絶食して卵を暖め続ける。クモの一種は孵ったばかりの子グモに自分の体液を吸わせ、そのエサとなって死ぬ。万物の霊長たるヒトの親は、果たして彼らより優れていると言えるのだろうか。ちょっと考えてみてはどうだろう。
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