「児童ポルノ法改正」に潜む危険
【「児童ポルノ法」が改正されるようとしている。子どもが性的虐待にさらされる事件は根絶されるべきだが、行われようとする改正は違う方向を向いているように思えてならない。
人間の行動を規制するために、さまざまな法が存在する。法は、不特定多数の人の行動に社会が立ち入る大変な権力である。だが社会的権力を持った人というのはその力を試したいのか、あるいは規制するのは簡単だと思っているフシがあるのか、次々にへんてこな規制を持ち出してくる例が後を絶たない。
すでにネット上の有識者の間で問題の指摘が始まっているところだが、3月11日から始まった「なくそう!子どもポルノ」キャンペーン(アニメ・漫画・ゲームも「準児童ポルノ」として違法化訴えるキャンペーン MSとヤフーが賛同)も、そんな匂いのする動きである。この運動を通して「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」、いわゆる「児童ポルノ法」が改正されようとしている。
改正のポイントは2つ。
1 現行法が禁じていない単純所持も違法化・処罰の対象にすること
2 被写体が実在するか否かを問わず、児童の性的な姿態や虐待などを写実的に描写したものを「準児童ポルノ」として違法化すること
この改正案をなかなか正面から問題視できないのは、規制肯定側が「だって児童ポルノってダメでしょ絶対!」という絶対正義のベールに包まれており、これに反対することは問題の本質にたどり着く前に「規制されるとお前が困るんだろう」、「この変態野郎め死ネ」的な目で見られるからである。なかなか独身男性には踏み込めない領域であろう。
まあ筆者は既婚者だから、あるいは子供がいるからロリコンじゃないという言い訳にはならないかもしれないが、筆者は自分の子供たちを愛しているし、守りたいと思っている点は事実だ。実際の子供が性的虐待にさらされる事件はなくさなければならない。だがその方法論としてこの規制でいいのかという点を、少し考えてみたい。
本来守りたいのは何か
まず問題を語る前に、基本情報をいくつか押さえておこう。まずキャンペーンの主体となっている「日本ユニセフ協会」は、国際連合児童基金(United Nations Children's Fund:ユニセフ)の日本法人ではない。ここはユニセフに「協力」している、ユニセフ外部の民間団体である。国連のほうのユニセフ日本事務所は「国際連合児童基金駐日事務所で、渋谷の国連大学ビル内にある。
さて肝心の児童ポルノ法というのは、1999年に制定された法律であるが、これは89年に子どもの権利条約の国連総会採択というのがあって、子供の権利を守るという観点から法整備が進められたものである。子供に対する拉致・監禁・誘拐などは児童ポルノ法を持ち出すまでもなく、犯罪である。児童ポルノ法の本来の役割は、青少年に対する性的虐待をなくすことにある。
ところが実際にできあがった日本の児童ポルノ法は、なんだか援交禁止法とも呼べるものになってしまった。国連からは子供の人権保護を要請されたのに、できあがったのは貞操観念保護の法律であったわけだ。ここに最初のネジレがある。ここでいう児童とは、18歳未満の青少年である。これも一応断わっておくが、青少年というのは男女を含む。
今年1月に衆議院調査局より発行された「各委員会所管事項の動向」の233ページには、児童ポルノ法による検挙状況などが記されている。これによれば、検挙数や被害児童数は増減を繰り返しているだけで、特に増加傾向は見られない。児童ポルノ事件数だけが平成17年以降跳ね上がっているが、これは平成16年に法改正があり、処罰範囲が広がったためである。
規制法が制定され、逮捕者が出れば、それに該当する犯罪は減少しなければならないわけだが、基本的に施行以来あまり変わっていないと言える。つまり児童ポルノ法は、犯罪の抑止効果が見られない法律ということになるわけで、役に立たない法律は廃案にすべきではないかと思うのだが、一度始めた規制を結果が出るまでエスカレートし続けるというのは、果たして正しいことかどうか。
繰り返すが、児童ポルノ法の本来の役割は、青少年に対する性的虐待をなくすことにある。これに対する規制が、「児童ポルノの単純所持の違法・処罰」と、「実写ではない児童の性的描写を違法化」で成し遂げられるのだろうか。
「所持する」とは何か
インターネット社会になって難しいのが、この所持するという概念である。例えばある児童ポルノのイメージデータがあったとしよう。これを所持するとは、ごく単純に考えると自宅のPCのHDDに保存したり、DVD-RやCD-Rに保存する、あるいはプリントアウトするといったことに当たるだろう。
だがこれをネットまで含めて考えると、妙なことが沢山起こる。例えばスパムメールに添付されてそれらの画像が送り付けられてきたらどうか。メールは見る前に消してしまえばいいかもしれない。しかし最近では、メールのバックアップとしてGmailや携帯などに転送をかけている人もいるのではないだろうか。
ローカルPC内の画像は消したが、転送されたほうはすっかり忘れて、そのままになってしまうかもしれない。Gmailのファイルはローカルにはないが、データの所有権はおそらく本人にあるということになるだろう。つまりネットの世界では、「所持」という概念が、自宅内を超えるわけである。
ダウンロード違法化問題でも同じ点を指摘したが、PCとインターネットの関係では、ダウンロードと閲覧の区別など付かない。ネットサーフィン中に意図せず児童ポルノ画像に行き当たっただけで、ローカルPCにはキャッシュが生成される。これは所持なのか。
もうひとつ重要なのは、これはネットに限ったことではないが、これによって多くのえん罪が発生するのではないかという懸念である。先日も大阪市営地下鉄御堂筋線で痴漢でっち上げ事件が起こったが、この法案が通れば、わざわざ電車に乗り合わせる必要もない。つまり誰かを社会的に抹殺したいと思ったら、児童ポルノを郵便やメールで送りつけて、手に取ったり画像を開いた現場を押さえればいいということになる。現に米国や英国では、児童ポルノを使った社会的抹殺ではないかと言われている事件がいくつか発生している。
さらにウイルスのような形で、「自動えん罪プラグラム」を作ることも可能だろう。PCに潜み、定期的に大量の児童ポルノをユーザーの気づかないフォルダに長年にわたり蓄積し、ある程度年数が経ったところで警察に匿名で通報するようなプログラムである。この法改正で、児童ポルノ法は不特定多数の人間を無差別に社会から葬り去る、「究極の情報兵器」となりうるのである。
携帯フィルタリングもダウンロード違法化もそうだが、もともと悪いのは、情報を出す側である。児童ポルノの提供者は、すでに現行法の七条で違法とされ、刑罰もある。なのに情報の受け手側を違法化するような、潜在的に一般市民全員を犯罪者に落としかねないようなやり方しか考えられない背景には、法改正に関わる者がいかにネットの仕組みを知らず、旧来の社会生活ベースでしかものを考えられないかという事実がある。ネット上の情報発信者が特定できないというのであれば、それを可能にする法改正にまず着手すべきだ。国際協力も、そこから始めるべきだろう。
「準児童ポルノ」の無茶
もうひとつの改正ポイントである準児童ポルノの定義は、「アニメや漫画、ゲームなどで児童を性的に描いたもの」、あるいは「児童の性的な姿態や虐待などを写実的に描写したもの」だそうである。つまり実写の人物ではなく所詮は描いた絵であるから、実際の児童の性的虐待自体がないわけだ。それにも関わらず、絵でも違法化するということである。また実写の場合でも、18歳以上が児童の格好をするのもダメということらしい。
これは平たく言うならば、「萌え」の解体である。この規制のベースは、「性的虐待の表現を目にすることで、人は性的虐待に走るようになる」という思想が感じられるが、果たしてそうだろうか。これは、本来逆の話だ。つまり元々そういう性的指向のない人は、いくら児童の性的虐待表現を目にしても、ただ嫌悪感を感じるだけである。一方実犯罪に走る人は、別にこういった表現があろうとなかろうと、何かのきっかけで引き金は引かれるのである。
これは、暴力的な表現を見た子供が、そのまま暴力的になるわけではないということと同じである。もしそうなら、1980年代に「北斗の拳」に夢中になった今の30代は、最終核戦争を起こしていなければならない。
また、どういう表現したらポルノと言えるのか、という線引きもないに等しい。エロに見えるかどうかは、これもまた人それぞれである。以前「エロかわいい」ファッションが流行ったこともあったが、おじさんから見れば子供が冬にヘソ出して風邪引くぞーぐらいにしか思わない。そのものズバリでない以上は、もはや想像力の範囲である。
さらに「写実的に描写したもの」となれば、それはほとんど主観の問題になってしまう。バニーガールをものすごく写実的に描いたあげくウサギに見えた場合は、どんなにエロくてももはや人ではない。それに欲情する人は、もはや誰が何をやっても止められはしないところまで行ってしまっているのである。
そう考えると、どうも規制しようとする対象と、リアルに児童を性的虐待する人間像の間に、大きな隔たりがあるように思う。日本ユニセフ協会のサイトにある「子供ポルノ日本の現状」と題されたスライドショーには、イメージ映像として秋葉原の昭和通りの画像が使われている。要するに、アキバの店頭などで見かける扇情的なアニメ画なども一掃したいと考えているのだろう。
確かに店頭の萌え絵は、ある日一線を越えた時があったように思う。正確には記憶していないが、おそらく2002年か03年ぐらいのことだったか。それまでもいわゆる萌え絵看板は存在したが、ぱんつが見えているものはなかったように思う。しかしその日筆者は、初めてばんつが見えている萌え絵看板を目撃した。たぶんそのあたりを境にして、なんとなく表現が解禁になっていったように思う。
しかしそういうものは、何も児童ポルノ法をいじくらなくても、猥褻物陳列罪(刑法題第百七十五条 わいせつ物頒布等)で取り締まれる範囲である。店側もどっちみち18禁で売るわけだから、入店を年齢制限しているはずであり、その中で展示すれば済む話である。
アキバから生まれる、あるいはアキバで消費されるコンテンツや文化は、これから電気・電子機器に代わって、日本の主要輸出産業となるサブカルチャーである。巨大産業として注目される「コミケ」も、ようやく著作権特区としての方向を見いだしたばかりだというのに、この法案が通れば壊滅的な打撃を受けるだろう。
またこれらのコンテンツがあるから、実際の性犯罪が抑止できているという考え方もできる。つまり、そういう萌え絵に反応する人たちは、アニメ絵だから反応するわけで、現実の子供には興味がないものである。逆にアニメ絵を規制してしまったら、現実の子供に走る可能性が出てくる。親としては、むしろそっちのほうが困る。
子供を性的虐待から守るという目的は筆者としても同意するところだが、規制強化への改正案は、方法として間違っている。単にオバチャンが見たくないものを感情的に取り締まるということではなく、もっと心理学の面に踏み込んだ議論がなされるべきであろう。
児童ポルノ法第三条には、「この法律の適用に当たっては、国民の権利を不当に侵害しないように留意しなければならない。」とある。少なくともこの条文がひっくり返るようなことがあってはならない】
少々長い文章だが全文を掲載。以前このブログでも「子どもポルノ~「まず規制ありき」は順序が違う」というエントリで「性犯罪と児童ポルノの因果関係がハッキリしてないのに規制だけ強化しようってのは、単に好き嫌いの問題だけなんじゃないの?」という意見を述べさせてもらったが、改めてその疑念が深まったという感じだ。
…ところで、その「以前のエントリ」という奴なのだが、タイトルに「ポルノ」という文字が入っているせいか、やたらとエロサイトからのトラックバックを張られて少々困っておる。一応方針として、関係ないトラックバックは見つけ次第削除しているのだが、何とかならんものだろうか…?
【関連】自分の幼少時の写真も児童ポルノに該当するようになるらしい(「アルファルファモザイク」様)
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