ビラ配り有罪―社会が縮こまっていいか(朝日新聞社説)
【戦後の混乱の続くイラクに自衛隊が向かった04年1月、東京都立川市の防衛庁宿舎で、市民3人がビラを各戸に配った。
ビラには「自衛官・ご家族の皆さんへ/自衛隊のイラク派兵反対!/いっしょに考え、反対の声をあげよう!」と書かれていた。3人のうち2人は翌月も別のビラを配った。
宿舎からの被害届を受けた警察は3人を住居侵入容疑で逮捕した。3人は起訴された後も保釈されず、75日間も警察の留置場などに入れられるという異常な捜査だった。
自衛隊派遣への反対運動を狙い撃ちした捜査としか思えなかった。
3人は公判で、ビラ配りを住居侵入罪に問うことは、表現の自由を保障した憲法に違反すると主張した。
しかし、最高裁は次のように述べて3人の主張を退けた。
表現の自由は憲法で無制限に保障されたものではない。官舎は一般人が自由に出入りできる場所ではなく、管理者の意思に反して立ち入ることは住民の私生活の平穏を侵害する。
これで罰金20万~10万円の有罪が確定する。
ビラが配られたのは、自衛隊のイラク派遣をめぐって世論が割れ、様々な論議が起きていたころだ。自衛官やその家族が派遣反対のビラをドアの新聞受けから入れられて動揺したり、いやな思いをしたりしたというのは、その通りかもしれない。知らない人が勝手に敷地に入ってくれば、不安になるのも無理はない。
ビラを配る側も、1階の集合ポストに入れたり、宿舎前で配ったりする気配りをすべきだったろう。
しかし、だからといって、いきなり逮捕し、2カ月余りも勾留(こうりゅう)したあげくに刑事罰を科さなければならないほど悪質なことなのだろうか。度を超した捜査や起訴をそのまま追認した最高裁には、失望してしまった。
気がかりなのは、今回の最高裁判決で、ビラ配りなどがますますやりにくくなり、ひいては様々な考えを伝える手だてが狭まっていくのではないか、ということだ。これでは社会が縮こまってしまう。
そうでなくても、このところ、言論や表現の自由をめぐって、息苦しさを覚えるようなことが相次いでいる。映画「靖国」が、トラブルを恐れる一部の映画館で上映中止になった。右翼の街宣活動を理由にホテルが日教組の集会を断った。
だれもが自由に語り、自分の意見を自由に伝えることができてこそ、民主的な社会といえる。そこでは、自分とは異なる意見や価値観を認め合い、耳を傾けることも求められている。
そんな寛容さや度量を社会として大切にしていきたい】
>ビラには「自衛官・ご家族の皆さんへ/自衛隊のイラク派兵反対!/いっしょに考え、反対の声をあげよう!」と書かれていた
「復興支援は強盗の手伝い」「殺すも殺されるも自衛官です」「その地域の住民にとって、自衛隊は死に神になります」とも書いてあったそうですね。これを「表現の自由」と言うのなら、脅迫とか名誉毀損といった刑罰は、全てそれで片がつきますな。
反戦ビラ有罪 自由を萎縮させるな(東京新聞社説)
【自衛隊のイラク派遣に反対するビラを官舎で配った。最高裁は住居侵入罪にあたるとした。有罪が確定する。「ビラ配布有罪」が続いている。この積み重なりが、表現の自由をさらに息苦しくする。
憲法二一条が表現の自由を保障している。イラク派遣は国会でも大問題となった政治テーマである。「反対論」を唱えるビラ配布も許容されていい。
ただ、二〇〇三年から〇四年にかけて配った場所が、東京都立川市の旧防衛庁の宿舎だった。「関係者以外立ち入り禁止」の表示があり、警察にも被害届が出されていた。
一審は住居侵入を認めつつも、住民の被害が極めて軽微だとして、刑事罰を科すほどではないと無罪判決を出した。二審は逆転有罪となり、最高裁も「(住居の)管理権者の意思に反して立ち入った。私的生活の平穏を害する」とし、有罪判断を下した。
判決には、具体的にどのように平穏が乱されたか、どんな精神的被害があったか、言及はなかった。刑罰法規を形式的に当てはめた判決といえないか。政治ビラは意見を異にする人々に対しても、発信する自由があることを留意したい。被告たちは、自衛隊員にこそ「反対」のメッセージを伝えたかったようである。
見過ごせないのは、証拠隠滅の恐れを理由に、七十五日間も拘置されたことだ。科されたのが罰金刑なのに、それほどの長期間、拘束する必要はあったのか。
国際人権団体アムネスティ・インターナショナル本部は、「反戦ビラ」の被告たちを日本で初めて「良心の囚人」と認定した。非暴力で権利を行使しただけで、拘束された人々のことである。ミャンマーの民主化指導者アウン・サン・スー・チーさんや、旧ソ連のノーベル平和賞の故サハロフ博士らも名を連ねた。
共産党の印刷物を配布し、住居侵入罪に問われた東京都葛飾区の僧侶も、一審無罪が二審で逆転有罪。共産党の機関紙を配った社会保険庁職員は国家公務員法違反で、有罪判決。有罪が続く。
まるで「反体制」や「左翼」と呼ばれる人々を狙い撃ちしている印象を与えかねない。これでは、政治について声を上げ、それを伝達することすら、ためらいが生ずるのではないか。
多様な意見を自由に述べることこそが、民主主義の根幹である。“良心の囚人”が増えれば、自由は必ず萎縮(いしゅく)する】
例えば「表現の自由だ!」と叫んでストリーキングをしたら、マスゴミは揃って擁護してくれますか?前にも述べましたが、「自分の権利を主張したり行使するためには、法律や他人の権利を犯しても構わない」なんて考え方自体が間違ってるのですよ。マスゴミもサヨクも自重しなさいね?
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