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2008年11月13日

サヨクの底が見えるコラム2編

毎日新聞「近事片々」11/11付

【ああ定額給付金。所得制限を「手間がかかる」と首相。「辞退は市町村窓口で自発的にやってもらうのが簡単じゃないのか」。ええい面倒だ、欲しい人がどうぞ勝手に、という論法。一から考え直してはどうか。論語の言葉しみじみ。過ちては改むるに憚(はばか)ることなかれ。

    ◇    ◇

 新生ライオンズの球団社長は「ボールの直径は何センチか」から勉強したそうだ。首相の「カップめん400円」も「ホッケの煮付け」の勘違いも恥じる必要はない。要は知らないことは率直に学ぶこと。過ちて改めざる、これを過ちという。

    ◇    ◇

 それにしても「ホッケの煮付け」とはどんなものか。庶民としては、食べてみたくなった

 「ホッケの煮付けとはどんなものか」って…そんなのネットでも何でも調べれば、すぐ出てくると思うんですが…毎日新聞は記事書くのに下調べくらいの事もしないんでしょうか?そんな体たらくだから変態記事騒動なんかが起こったりするのですよ。

 あと、ホッケなんて基本庶民の食べ物ですよね。わざわざ「庶民としては」なんて前置きしてますが、大新聞社の記者様が「庶民」だなんて、読者は誰も思ってないですから。とりあえず変態新聞の皆様方は他人にケチをつける前に、「恥」という概念をもう一度学習するべきでしょうな。

東京新聞「筆洗」11/13付

【<ふくらんだ財布が心を軽やかにする>。英国の劇作家ベン・ジョンソンの言葉である。金持ちであろうがなかろうが、人の心とはそんなものかもしれない

▼だからといって、政府が決めた総額二兆円の定額給付金の支給により、心が軽やかになるかといえば心得違いである。生活を支援するためなのか、景気対策なのか。そもそも何のための支給かが、よく分からない

▼戸惑いはあっても一人当たり一万二千円の支給を、ひたすら待ち望んでいる人はいる。以前、話を聞いた二十代後半の若者の顔が頭に浮かぶ。非正規職員として地方自治体で働く「官製ワーキングプア」である

▼年収は二百万円を下回る。当日の財布の中身は五千円だった。これであと二週間過ごさないと、翌月のやりくりに苦しむという。この若者に限らず、経済情勢が激変する中、生活に困っている人にはもっと多く支給する必要がある

それなのに、必要性を痛感していないと思われる人にも給付金は支給される。所得制限を設ける場合は千八百万円を下限としつつ、判断が各市町村に委ねられた。随分高額な下限であるし、事務の手間などを考えると、設けないところが増える予感がする

▼金のなる木があるわけではない。元は国民の税金で、ツケをいつか払わなければならない。麻生政権は一体何をしているのか。そう思うと心が重くなる】

 所得制限を設ける事について「各市町村で事務の手間がかかるから」などと批判しているクセに「生活に困っている人にはもっと多く支給する必要がある」とは、言ってる事が思いきり矛盾してますね。「生活に困っている人」の基準は?その判断はどうやってするんですか?事務の手間にはならないんですか?

 また地方や自治体についても、「(失礼ながら)公務員ってそんな仕事してるの?」という印象が否めませんし、事務作業がたった一種類増えるくらいでガタガタ言っているようでは「地方分権」なんてとてもじゃないが実現できないと思うんですけどね。まぁ苦情は麻生首相だけでなく、福田内閣時代から定額減税を強硬に主張していた、公明党の連中にも向けてやって下さい。

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