朝日新聞社説3/30~「赤旗」配布無罪―時代に沿う当然の判断だ
【国家公務員が休日に、公務と関係なく、政党の機関紙を配布したことを処罰するのは、表現の自由を保障した憲法に違反する。そんな判断を東京高裁が示した。
公務員の政治活動に対するこれまでの規制の範囲は、不必要に広すぎた。表現の自由は民主主義国家の政治的基盤を根元から支えるものだ。そう言い切った判決の論旨を高く評価したい。
被告は旧社会保険庁職員。2003年の衆院選前に、共産党機関紙「しんぶん赤旗」を自宅近くのマンションの郵便受けに配ったとして、国家公務員法違反(政治的行為の制限)の罪に問われた。同法とそれに基づく人事院規則は政党の機関紙などを発行、編集、配布してはならないなどと定める。
公務員の政治活動については、「猿払(さるふつ)事件」についての1974年の最高裁大法廷判決が、長く合憲性判断の基準とされてきた。衆院選で社会党(当時)の選挙ポスターを掲示、配布した郵便局員を有罪とした判決である。
猿払判決は、国家公務員の政治活動について、その公務員の地位や職種、勤務時間であったか否かなどのいかんを問わず、幅広く禁止できるという判断を打ち出した。
今回、高裁判決は、この点について明確に疑義を呈した。公務員に対する国民の意識が変わったからだという。
猿払事件当時は東西冷戦下、左右のイデオロギー対立が続いていた。社会情勢の不安定さもあって、公務員の政治活動についても、その影響力を強く考えがちだった。しかし、現在は民主主義が成熟し、表現の自由が大切だという認識も深まっている。
こんな見方に立ち、判決は被告への罰則適用について「必要な限度」を超えていると指摘。公務員の政治活動そのものについても、許される範囲などについて「再検討され、整理されるべき時代」が来ていると述べた。
妥当な、思慮深い判断である。
もとより猿払判決には、かねて学界などから批判が多かった。今回の高裁判決は、時代や国民意識の変化を見極めたうえでの結論なのだろうが、むしろ裁判所の意識がようやく国民に追いついたという方が正確ではないか。そのことは指摘しておきたい。
今回の事件では警察の捜査手法も問題となった。大量の捜査員を投入し、長期間尾行し、ビデオに撮るなど、異様さが際だった。
ここ数年、ビラを配布しただけで刑罰に問われる事件も目立つ。いかにも軽微な行為を罪に問うことが横行すれば、社会は萎縮(いしゅく)してしまう。民主主義にとっては大きな妨げである。
裁判は上告審に移り、論争が続く可能性が高いという。最高裁には、今回の高裁判決を踏まえた賢明な判断を求めたい】
>公務員の政治活動に対するこれまでの規制の範囲は、不必要に広すぎた
マスゴミがふりかざす「表現の自由」の範囲も、不必要に広い感じが致しますが…法にのっとって与えられる権利や「自由」は、他の権利や法律を侵してまで、行使が許されるようなものではありませんからね?
>今回、高裁判決は、この点について明確に疑義を呈した。公務員に対する国民の意識が変わったからだという
>公務員の政治活動そのものについても、許される範囲などについて「再検討され、整理されるべき時代」が来ていると述べた
…はてさて、「公務員に対する国民の意識が変わった」とは、一体どういった根拠から出てくる話なのでしょう?どこかで聞き取り調査でもやったんですか?まぁ「社保庁の職員」ってヤツに対しては、「消えた年金騒動」の折に判明した様々な職務怠慢ぶりから「仕事もせずに組合活動ばかりの税金泥棒」という意識しか持ってませんがねぇ…政治活動とかそういう余計なものは、満足に仕事をこなしてからしなさいよ?
>ここ数年、ビラを配布しただけで刑罰に問われる事件も目立つ。いかにも軽微な行為を罪に問うことが横行すれば、社会は萎縮(いしゅく)してしまう。民主主義にとっては大きな妨げである
民主主義以前に日本は法治国家です。いかに軽微な行為であれど、酌量の余地があれど、それが法に触れるのであれば罪に問うのが法治国家というものです。ここでいう「ビラを配布しただけで刑罰に問われる事件」とは、以前当ブログでも取り上げたこの事件を指しているのでしょうが、あの時と今回は問題の論点が全然異なるのですが?
東京新聞コラム「筆洗」3/30付
【共産党を支持する社会保険庁(当時)の職員を、警視庁公安部などの捜査員は約四十日間、徹底的に尾行した。自宅を出た後に、昼食に何を食べ、夕方にだれと会ったのか。夜はどんな集会に参加したのか▼行動は分刻みに記録された。多い日には十人以上の警察官が出動し、三、四台の車両、ビデオカメラ四~六台がたった一人の尾行に使われた。私生活に踏み込む執拗(しつよう)さは、戦時中に戻ったような錯覚さえ抱かせる▼一人のプライバシーをなぜ、ここまで監視しなければならなかったのか。それは国家公務員が休みの日に、政党機関紙を配った行為を「犯罪」とするためだった▼東京高裁はきのう、堀越明男さんに逆転無罪の判決を言い渡した。政治活動を禁じた国家公務員法の罰則規定を適用することは「国家公務員の政治活動に限度を超えた制約を加えることになり、(表現の自由を定めた)憲法二一条に違反する」という明快な判断だった▼中山隆夫裁判長は「公務員の政治的行為は、表現の自由の発現として相当程度許容的になってきている」と社会状況の変化に言及する異例の「付言」をした。国民の常識に沿った考えだ▼同じ警視庁公安部が威信をかけて捜査してきた国松孝次警察庁長官の銃撃事件はきょう、公訴時効を迎えた。納税者として警視庁に言いたい。「税金の使い方がおかしくないですか」と】
これだけ大掛かりな調査をやってた理由ってのが「国家公務員が休みの日に、政党機関紙を配った行為を『犯罪』とするため」だけとは、どうにも信じ難いんですが…何か裏に「東京新聞などが報じない理由」があったりはしませんでしょうか?「都合の悪い事実は隠蔽する」ってのは、戦中戦後を問わず、メディアが抱える悪しき慣習ですからねぇ?
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