それは多分褒められてない
ダボスで響いた「開国」「絆」「最小不幸社会」(KAN-FULL BLOG 1/30付)
【今、ダボス会議(世界経済フォーラム)から日本に戻る移動中に書いている。
ダボスは、雪の中の美しい町。滞在時間はわずか6時間だったが、特別講演の他にも様々なミーティングや個別会談を行うなど、多くのプログラムをこなした。
講演では、私が年初以来強調している《開国》という言葉を、初めて海外で語った。「日本は内向きにならず自信を持ちたい」と開国の精神を話したが、聴衆や有識者との昼食会などでも、それに応えて我が国に対する期待の声が多く寄せられた。また、《絆》は日本社会の誇る素晴らしい言葉なので、敢えて日本語のまま“KIZUNA”と紹介した。
《最小不幸社会》という言葉も、海外で初披露した。“The Least Unhappiness”という耳慣れない表現が理解してもらえるか少し心配だったが、ベンサムの「最大多数の最大幸福」を前置きで述べてから、きちんと意味を説明して話したところ、大きな反響があった。最小不幸社会という言葉は私が若い頃から使ってきたオリジナルな言葉だが、逆にそのことが、好感をもって受け入れられることになったようだ。
終了後のロビーでは、わざわざ歩み寄ってきて「素晴らしかった」と握手を求めてきてくれた外国の方もいた。「哲学的なスピーチだった」という感想もいただいた。総理として、日本のプレゼンスが示せたように思う】
空き缶は今日の予算審議の中でもダボス会議について何度か触れ、自らのスピーチについて「『哲学的だった』と褒めてもらった!」と自画自賛しておりましたけど、現実的な課題をこなさなければならない政治家という職業についてその感想は、決して褒め言葉ではないんじゃありませんでしょうかね?「理念はいいけどさ、実際には何をどうするんだい?」という言葉をオブラートに何重にも包んだのがその「哲学的なスピーチだった」という感想だったのではないかと。世界会議の参加者なんてのは教養があり、礼儀もわきまえた方々ばかりでしょうからね。
【参考】財政赤字削減、各国首脳が合唱 日本は沈黙 ダボス会議
「世界経済フォーラム年次総会」という場が、一体何をするための場だったのか、空き缶がちゃんと理解した上で会議に乗り込んでいったのかどうかは甚だ疑問です。国内の議論も不十分なTPPについても「6月に結論を出す」とか明言してきやがったようですし。本当に民主党の連中ってのはルーピーを筆頭に、外に出してもロクな発言をしてこないから困りますな…。
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