全国の伊達直人に告ぐ
【プロレス漫画タイガーマスクの主人公「伊達直人」を名乗る人らによる全国の児童養護施設などへの寄付が続いている。新1年生へのランドセルのほか米や野菜、おもちゃなども。なぜ善意の輪は広がったのか-。
「『ランドセルを寄付しよう運動』では、社会現象にならなかった。『伊達直人=タイガーマスク』を使うことで、その活躍や善行が思い起こされ、人々の胸が熱くなる」
情報化社会を研究する関西学院大の鈴木謙介准教授(社会学)は「タイガーマスク」というキャラクターを使ったからこそ、全国に広がったとみる。
「何かに役立ちたいという思いよりは、善意を表現したいという行為。大きなニュースとなり、直接手渡す以上に感謝が集まっていることも、連鎖に一役買っているのでは」
「希望学」を研究する東京大社会科学研究所の玄田有史教授は「寄付者は五十代以上の男性が多いとみられる。直接感謝を受けられるのがうれしいのでは。匿名で寄付しているのは、男のダンディズム」と受け止める。
「善意」を表現するには募金に応じるという選択肢もある。だが、「赤い羽根共同募金」や「歳末たすけあい募金」を運営する中央共同募金会(東京)の熊谷有祐主事は「寄付総額は一九九五年度の二百六十六億円をピークに減り続け、二〇〇九年度は二百一億円で、六十億円以上の減。四七年に創設以降、どんな不況でも増え続けていたのに」と声を落とす。
「どのように世の中に役立っているのかが見えにくいことに、違和感を持つ人が増え、募金が敬遠されているのかも」。熊谷さんはそう分析する。
会はホームページで児童養護施設への施設助成や進学・就職支度金など、募金の使い道を掲載。「これで共同募金の意義を理解してもらえれば」(熊谷さん)と期待する。
一方で、交通事故などで親を亡くした子供への進学資金を援助する「あしなが育英会」(東京)への継続寄付(「あしながさん」)は、〇九年度に十二億円余に上り、十年前より二割以上多い。
同会によると、多くの「あしながさん」は三十~四十代の働き盛り世代。小河光治理事は「子育てをするようになり、恵まれない子への共感を覚える人が多いのでは」と話す。不況が厳しいほど、関心が強まるという。
「『世の中、こうあってほしい』と思う出来事ですね」と言うのは、各地の児童養護施設でチャリティーボクシングを開くボクシングジム会長で元プロボクサーの坂本博之さん(40)。自身、福岡市の施設「和白青松園(わじろせいしょうえん)」で育った。現役時代、同園にテレビや自転車を寄付してきたが今回、同園にも匿名でランドセルが寄付された。
「児童養護施設の子の大半は虐待が原因。傷つけられ、裏切られた子は大人に不信感を持っているが、それでも大人から手を差し伸べられたことは忘れない。大人になったら寄付する側になろうと思って、頑張る子も出てくるでしょう」】
昨今「タイガーマスク現象」とやらが話題になっています。今朝などは読売・朝日新聞なども社説でこの件について触れているくらいで、話の広がりを感じさせられるところですが、しかし私はあえて書いておきたい。全国に現れた「伊達直人」は、その名前を使うだけの覚悟があるのか、と。
この意味については、漫画のストーリーを考えれば一発でしょう。以下、ウィキペディアより抜粋。
『孤児院ちびっこハウスの伊達直人は動物園の虎の檻の前で喧嘩をしたのがきっかけで、悪役レスラー養成機関「虎の穴」にスカウトされる。 虎の穴での殺人トレーニングをこなす日々の中で、自分と同じような生い立ちを持つ孤児たちに、同じような苦しみを味あわせたくないという想いを抱くようになり、虎の穴を卒業、「タイガーマスク」としてプロレスデビューをしてからは、収入の一部を孤児院へ寄付するようになった。 当初は虎の穴へのファイトマネーの半額という上納金は支払った上で、自分の手取り分の範囲内での援助を考えていたが、自分の出身施設である孤児院「ちびっこハウス」の窮状を知り、虎の穴へ納める分まで寄付せざるを得なくなる。虎の穴はタイガーを裏切り者とみなし、タイガーを倒すための刺客を次々と送って来る』
私の言いたい事は、この太字の部分なのです。タイガーマスクとは、「伊達直人」とは、ただ一度援助を行って、それで終わるものではないのです。「男のダンディズム」とかそういうものでなく、ただ窮状に苦しむ子どもたちのため、我が身を投げ打ってでも戦う存在なのです。この景況下、ただ1、2度の支援では「焼け石に水」でしょうけど、それでも「水滴は岩をも穿つ」とも申します。「伊達直人」の名を語ったならば、そういう支援活動を気まぐれや自己満足で終わらせず、自らの使命であると心得て、継続して行うくらいの覚悟がほしいところであると私は思うのです。
まぁ、今回報じられている行為自体は当然評価されるべきものですし、また上の記事内にもあるように、「タイガーマスク」というキャラクターを使ったからこそ話が大きくなった部分はあるでしょう。しかし、「伊達直人」の名が使われたからこそ、私は余計に全国の「伊達直人」たちにその気持ちを問いたいのです。…こんな事を書いたら、今後は寄付行動が続いても「伊達直人」を名乗る人間がいなくなるだけのような気がしないでもないのですけど、そもそも昔の日本には、たとえ貧しくても子どものため、未来のために身を粉にして働く「伊達直人」が名乗らずとも大勢いて、彼らの頑張りによってこの国は政界に冠たる経済大国に成長したんですよね…それと今の日本の状況を考えると、ちょっと悲しい思いも致します。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント