菅首相、退陣論を一蹴=小沢氏、公約修正を批判
【2011年度予算関連法案の成立と引き換えにした菅直人首相の退陣を求める声が民主党内にも広がる中、首相は20日午後、公邸で首相のグループに属する江田五月法相と会談し、今後の政権運営について協議した。この中で首相は「こういうときこそしっかりと立つことが大切だ。どんな嵐が来ようが頑張る」と述べ、退陣論を一蹴した。
首相との会談後、江田氏は記者団に対し「足元で起きるいろいろな声に心を騒がせるのではなく、毅然(きぜん)と頑張っていこうということで一致した」と述べ、政権維持に向けた首相の強い意欲を強調した。
一方、小沢一郎元代表は同日夜、沖縄県南城市で開かれた同党衆院議員の会合に出席し、「困難を乗り越えて約束を守る(べきだ)。われわれの主張の影が薄くなってきてしまったことを国民は敏感に感じ取っている」と述べ、衆院選マニフェスト(政権公約)見直しの動きを批判した。ただ、同氏に近い議員らの会派離脱問題に関しては言及しなかった。
首相は江田氏との会談後、民主党の斎藤勁国対委員長代理とも会談し、「予算関連法案は大変だが、頑張る」と述べ、早期の成立へ決意を示した。
また、岡田克也幹事長は同日午後、三重県伊勢市で記者会見し、内閣総辞職を条件に野党に予算関連法案の成立を求めることは「全く考えていない」と表明。「首相がころころ代わって国益にプラスであるはずがない」と首相退陣論を退けた。
首相が18日に衆院解散の可能性を否定しなかったことに関し、岡田氏は「予算関連法案を中途半端にして解散するということはあり得ない」と述べた。
岡田氏は、関連法案の衆院採決に関し「(会派離脱表明した)16人も党議に反する行動を取るとは考えていない。従っていただけると確信している」と述べたが、16人のうちの一人は取材に対し、「官僚主導になっており、関連法案には賛成できない」と明言した。メンバーの中からは、予算案本体に反対する案も浮上している】
「給料泥棒のようなもの」米倉経団連会長が国会の予算審議を厳しく批判
【米倉弘昌日本経団連会長は21日の記者会見で、民主党の支持率低下などに伴って停滞している平成23年度の予算審議をはじめとする国会について「税金を払っている国民のために何もしていない。給料泥棒のようなものだ」と厳しく批判した。
小沢一郎元代表に対する処分を不服として離脱表明をした民主党議員について米倉会長は、「問題山積で予算関連法案の審議が進んでいるときに離脱とは無責任極まる」と指摘。そのうえで「これに乗じて政局化を目指すような自民党も国民生活や国益を無視した行動だ」と切って捨てた。
米倉会長は税、財政、社会保障の一体改革などの問題に対し、「与野党が協力して仕事をすべきだ」と強調。「総選挙でどうのこうのという状況ではない」と苦言を呈した】
朝日新聞社説2/21~小沢氏流を超えて―「政局」政治から卒業を
【日本政治の病、いよいよ篤(あつ)しの感が深い。
政策の立案決定や遂行よりも、権力の争奪をめぐる永田町のなかの抗争、いわゆる政局にかまける病である。
民主党の小沢一郎元代表に近い議員16人が同党の会派からの離脱を表明し、党内では菅直人首相の退陣論が公然と語られ始めた。これに対し首相は衆院解散に含みを持たせ、対抗する。
新年度予算案審議の真っ最中である。予算関連法案の成否はきわどい。社会保障と税の一体改革に目鼻をつける作業は待ったなしだ。
そんな時期に、与野党あげて「政局」政治に没頭している余裕は、いまの日本にはない。
「小沢」か、「脱小沢」か。20年来の日本政治を枠づけてきた対立構図が、今回の局面の底流にも横たわる。これを清算することなしに、政治の病が癒えるとは考えにくい。
小沢氏流の政治とは何かを、改めて見つめ直さなければならない。
■めざすは「権力集中」
小沢政治を解剖する道具とすべき言葉は、やはり「権力」だろう。
小沢氏は「政治改革」を主導した。何のためか。1993年に出した「日本改造計画」冒頭に、「迷惑な『指導力の欠如』」という項目がある。
それによれば、日本は「小さな脳しか持たない恐竜」である。脳、つまり指導者の指示ではなく、手足やしっぽが互いに調整し、一挙手一投足を決める。それが日本政治だというのだ。
湾岸危機の際、自衛隊海外派遣を、政府内の異論や野党の抵抗に阻まれていた。意思決定の仕組みを変え、権力を最高責任者に「民主主義的に集中」しなければならないと説く。何より迅速な「決断」を可能にすることが、小沢氏の政治改革だった。
決断を支える権力を手にするためなら、小沢氏は時になりふり構わず行動してきた。
民主党代表だった2007年、参院選で第1党に躍進した。その後は自民・公明政権を徹底的に揺さぶり、次々に首相を退陣に追い込んだ。
日本銀行総裁を空席に、ガソリン税の暫定税率を期限切れにしたのは記憶に新しい。
09年の衆院選マニフェスト(政権公約)は、西松建設事件で代表を辞任する前に、小沢氏が敷いた路線に沿ってつくられた。「財源はなんぼでもできる」と言い切り、子ども手当の規模を拡大させたのも小沢氏である。
こうした戦術が政権交代になにがしかの「貢献」をしたのは事実だろう。しかし、その「貢献」のおかげで政権が払わされている代償は甚大である。公約は財源のない空証文だと批判を浴びて、与野党協議もままならない。
■古い原理に乗る矛盾
小沢氏流の政治はまた、政策なり理念なりを二の次にしていると疑わざるをえない。
小沢氏は衆院選公約の固守を説く。
しかし、あれほど廃止にこだわっていた暫定税率の維持を、10年度予算編成で決めたのは小沢氏自身である。
土地改良予算半減の判断も、小沢氏によるものだ。それは自民党支持の業界団体への制裁と受け止められ、団体は「政治的中立」を宣言するに至る。
政策の実現が真の目的なら、参院の多数を握っていた野党時代にも、それは十分可能だったはずだが、小沢氏はそうはしなかった。
しかも、その権力行使は透明性を欠く。「最高責任者」たる首相の背後で党側の小沢氏が決める「二重権力」。国会から逃れられない首相と異なり、説明責任からも自由になりやすい。
力の源泉は数。選挙や資金の面倒をみて手勢を養う派閥の論理である。だから、多額の資金をどう賄っているのか疑問の目を向けられることになる。
55年体制的な古い原理に乗って「改革」を主導する。そこに小沢氏の抱える自己矛盾を見てとることができる。
「2大政党による政権交代のある政治」の実現という政治改革の原点も、その後の小沢氏の行動からすれば揺らいで見える。
福田内閣時代、自民、民主の「大連立」を工作し、世を驚かせた。
逆に政権奪取後は、自民党を徹底的に追い詰める方向にかじを切る。
その政治的遍歴を見るにつけ、小沢氏が追い求めてきたものは結局、権力のほかの何だったのかという疑問が浮かんでくる。
■「倒閣」の時なのか
もとより政治という営みは権力と無縁では成り立たない。今後も時に「政局」と呼ばれる抗争局面が訪れるだろう。しかし、物事には限度がある。
ポスト小泉の日本政治は、政争がひときわ絶え間ない。首相の「たらい回し」は目に余る。その多くに小沢氏の影が見える。
そろそろ、権力闘争にうつつを抜かす政治から卒業する時である。
甘い言葉で権力を奪う政治から、苦い現実を見据える政治へ。白紙委任を得たかのように振る舞う指導者から、丁寧に説明し、説得する指導者へ。与野党が非難の応酬に終始する国会から、政策本位で合意を探る国会へ。
菅政権は低迷を脱せず、民意の評価は一層厳しい。それでもなお、誰もが日本の難局を痛感している今このとき、「倒閣」だ、「解散」だとぶつかり合っている場合だろうか】
国民を無視して権力の維持に腐心する民主党、時の政権に擦り寄って自分たちの利益を得る事しか頭にない経団連、そして自民党政権末期の頃には「解散しろ!総選挙だ!」と抜かしておったのが信じられない変節ぶりの朝日新聞…全員死ねばいいのに、と本気で思います。
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