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2011年4月13日

東京新聞コラム4/13~意訳「あれは天罰」

東京新聞「筆洗」4/13付

【物理学者の寺田寅彦は、昭和九年に書いた随筆で「文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増す」(「天災と国防」)と指摘している▼征服したつもりでも、自然は何かのきっかけでおりを破った猛獣の大群のように暴れだし人命を危うくする。大津波の直撃を受けた福島第一原発の事故を見ていると、警句の鋭さを感じずにいられない▼経済産業省原子力安全・保安院はきのう、原発事故の深刻度を示す国際評価で最悪のレベル7へと二段階引き上げたと発表した。過去には旧ソ連のチェルノブイリ原発事故しか例がない▼「チェルノブイリとはまったくレベルが違う」とテレビで力説していた原子力の専門家たちの面々を思い出す。被害を小さく見積もりたいという心理が政府にはなかったか。検証を求めたい▼外部に放出された放射性物質量はチェルノブイリの十分の一程度にとどまっている。だが、四基が同時に危機に陥っていることや汚染水の海への放出はチェルノブイリではなかったことだ▼「自然は過去の習慣に忠実である。地震や津浪は新思想の流行などには委細かまわず、頑固に、保守的に執念深くやって来るのである」と寺田は「津浪と人間」で書いている。人間は地球に生かしてもらっている弱い存在だ。自然を征服できると考えたおごりが報復されているように思えてならない

>自然を征服できると考えたおごりが報復されているように思えてならない

 この部分、ごく単純な言葉で言いかえれば「天罰」となるのではないかと思うのですが↓

【参考】東京新聞「筆洗」3/16付

【一億分の一秒で核分裂連鎖反応を起こし、一気に温度を上げて爆発させるのが核爆弾。同じ物理現象を利用、ゆっくりとコントロールしながらエネルギーを得る装置が原子炉である▼原理上は両者を区別できない。原発の運転中に生成されるプルトニウムが原爆の材料になり、原発を持つ国は、核兵器をつくる潜在的な能力を持っている(山田克哉著『核兵器のしくみ』)▼「平和利用」という名目で地震列島に原発を設置してきた私たちは今、初めて経験する危機に直面している。被災した福島第一原発の原子炉が制御困難となり、高濃度の放射能が漏れ出したのだ。放射性物質は風に乗って広がる。計測される放射線濃度は下がってきているが、家庭や学校、職場では、最悪の事態にも備えてほしい▼原発に近い被災地では、放射能の被ばくの恐怖とも闘っている。そんなときに、石原慎太郎都知事は津波を「天罰」と言った。翌日、撤回、陳謝したが、何万人もの安否が不明なのに、想像力を欠いた言葉を吐く人物に首都の防災を任せられない▼エレベーターがなければ暮らせない超高層のマンション、二十四時間営業のコンビニエンスストア…。気が付けば私たちは、無尽蔵に電気を使えると錯覚しながら生活していた。それを「豊かさ」と思い込み…▼FUKUSHIMAの名は今、歴史に刻まれようとしている】

 日本中、いや世界中に放射能の影響が広がろうという時に、想像力を欠いた言葉ではありませんか?他人様には「想像力を欠く」などと言っておいて、自分で同じような言葉を平気で使うのですからねぇ…そうした人物に新聞記者などさせておいていいのやら。

 …あぁ、そう言えば東京新聞の皆さんが知事選前に一生懸命「後出しジャンケンはやめろ」「政策を語れ」などと批判してきた石原慎太郎は、開票直後にあっさり当確出てましたね。個人的には不満な部分もありますけど、とりあえずご愁傷様。

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