火事場泥棒は伝統か?
「後ろから殴られた」大震災支援にからめ 韓国メディアが「竹島」明記の教科書批判
【文部科学省が3月30日に公表した、来春から使われる中学校教科書の検定結果に対し、韓国メディアがやはり非難の声を高めている。非難の矛先は、言うまでもない竹島(韓国名・独島(ドクト))に関する記述と取り上げが増えたことに向けられたが、東日本大震災被災地への韓国側の援助にからめた対日批判がまず目立った。
「共生の機運に冷水」
韓国紙、朝鮮日報(電子版)は3月31日のコラムで「韓国では後ろから殴られたような思いだという反応が相次いでいる。われわれは世界のどの国よりもいち早く数十万人が日本支援の募金に乗り出した。にもかかわらず日本は独島を自国領だと主張。教科書を通じた挑発に及んだ」と指摘。中央日報もコラムで「韓日間に友好が芽生える雰囲気だった。韓国国民の大半は日本の地震に心を痛めた。せっかく共生の機運が高まった韓日関係に、日本政府が冷水を浴びせる理由が何か気になる」と日本側の態度に疑問を投げかけた。
しかし、今回の“日本教科書報道”では、「独島問題と震災への人道支援は別」との意見が一方で目立つ。
中央日報(電子版)は社説で「人道主義的レベルで広がっている対日支援の熱気が教科書のために冷めるのは望ましくない。未曽有の災難で苦痛を経験している隣人に対する温かい支援はずっと続かなければならない。人道主義と独島は別の問題であることを知らない国民はいないはずだ」と人道主義の大切さを訴えた。
冷静な自戒の声も
さらに、冷めた見方もある。朝鮮日報はコラムで「韓国による日本支援に、日本社会は謝意を示した。韓国に感謝する日本の気持ちは本心だと信じる」としつつも、「だからといって、日本が教科書問題で譲歩すると期待したとすれば、甘すぎる。韓国による災害支援と教科書問題は別なのだ」と断言。「日本と隣人として付き合う上で最大の条件は過度の期待を捨てることだ」と歴史認識をめぐる日本への“情緒的な幻想”を戒めている。
こうした現実的なとらえ方は、韓国世論に対してと同時に、韓国メディアが自らに言い聞かせている感もある。歴史認識をめぐりこれまで日本には目くじらを立ててきたが、大震災や放射能漏れで窮地に置かれた今、「われわれももう少し大人になろう」というわけだ。「興奮することはない。声を高め青筋を立てることもない。そうなればわれわれの格が落ちるだけだ」(中央日報社説)と自戒している。
根本は何ら変わらず
だが、根本は変わっていない。「多くの韓国国民は、日本の東北地方で地震や津波が発生してから『独島問題と人道支援は別』という大きな考えを持ち、隣国・日本の国民の痛みを共に分かち合おうとしてきた。ところがこのような状況で日本政府が『教科書検定は以前から予定されていたため変更できない』と説明したとしても、これは到底受け入れることができない」(朝鮮日報社説)と妥協はしない。「日本が独島に対して戦線を拡大してくるなら、こちらもそれに応じて独島に対する実効支配を強化する具体策を実行に移す以外にない」(同)と竹島問題では一歩も引かない構えだ。
中央日報も「日本が何と言おうと、独島は韓国が実効的に支配している大韓民国の領土だ」「騒ぎ立てる必要はなく、独島にヘリポートと防波堤を建設し、船着き場と漁民の宿舎を拡張するなど、行動で実効的支配を強化していくのが最善だ。これと合わせ歴史的、国際法的になぜ独島が私たちの領土なのかを国際社会に実証的に確認させる努力も並行しなければならない」と鼻息は荒い。
大震災に見舞われた日本への支援で度量を見せてくれた隣国だが、歴史認識や領土問題をめぐっては日本に対する度量の文字はないようだ】
「支援してやるから見返りをよこせ」とでも?そういうのを「善意」とは受け取りたくありませんなぁ。まぁ、今回の地震で日本を支援してくれている多くの国々の中で、特ア諸国以外にそういう事を考えている国が全くないとは申しませんけれども、少なくとも口にしたり行動したりするのは特アの特アたる所以なのでしょうか。
これを火事場泥棒と言わずして何と言いましょう?
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