« 「初めてだから…」ぢゃねぇよ馬鹿 | トップページ | ポッポの頭が申し訳ない »

2011年5月 3日

東京新聞コラム5/3~原則でなく元凶

東京新聞「筆洗」5/3付

【♪古いすげ笠(がさ)/チョンホイナ/さらりとすてて/平和日本の花の笠/とんできたきた/うぐいすひばり/鳴けば希望の/虹がでる…。サトウハチロー作詞、中山晋平作曲の「憲法音頭」の一節だ▼新憲法を定着させようと、憲法普及会(芦田均会長)が一九四七年に庶民向けにつくった“官製音頭”は、国民の記憶からあっさりと消え、長野県中野市の中山晋平記念館にSPレコードが残るのみだ▼政府の普及作戦は失敗したが、新憲法は国民の強い支持を得た。おびただしい数の戦没者の犠牲と引き換えに、手に入れた「宝物」という実感が敗戦直後の民衆にはあったからだろう▼憲法九条と日米安保条約。戦後日本は、矛盾する二つの原則を共存させながら復興した。米軍基地を沖縄に押し付けて、防衛費を抑えて手に入れた豊かさ。それが経済大国の実像だった繁栄の陰に沖縄の犠牲がある。何かにそっくりだ。そう、過疎地に立つ原子力発電所の存在を意識することなく、電気を際限なく使うことに疑問を持たなかった私たちの暮らしぶりと驚くほど似ている▼憲法の施行からきょうで六十四年。沖縄の米軍普天間飛行場の移設問題と原発事故は、重い問いを突きつけている。「古いすげ笠」をさらりと捨てるのは簡単ではないが、犠牲を強いられている人たちの苦悩を想像することからすべては始まるのだと思う】

 さすが反米・反原発の東京新聞、憲法9条にかこつけて両者一緒に叩いてやろうというその心持ちは結構ですけど、いくつかツッコミを入れさせて頂きましょうか。

>憲法九条と日米安保条約。戦後日本は、矛盾する二つの原則を共存させながら復興した。米軍基地を沖縄に押し付けて、防衛費を抑えて手に入れた豊かさ。それが経済大国の実像だった

 この部分ですけど、そもそも「戦後日本は米軍基地を沖縄に押し付けて防衛費を抑え、復興した」というロジックは正しいのでしょうか?歴史を紐解けば、沖縄は日本に返還される1972年5月15日まで、アメリカの領有下にあったのですよ?それまでに沖縄に築かれた基地は、日本でなくアメリカが判断を下した事ですよね?さらに、日本において「高度成長期」と呼ばれているのは1954年12月から1973年11月までの19年間(wiki準拠)だそうですが、沖縄が日本に戻ってきたのは、日にちからすれば終わりの半年間でしかありません。確かに、日本の復興が軍事に回す分を経済成長につぎ込めたために早く成ったというのはあると思いますけど、これと沖縄の存在ってのをどこまで関連付けできるのかは少々疑問ではないでしょうか?

 だいたい「憲法9条が原則」とか言ってる時点で間違いなのですよ。アメリカに憲法9条を押し付けられ、軍備を制限されたからこそ、戦後日本は冷戦突入から現在に至るまで、アメリカに協力し、その戦略に従わざるを得なかったワケです。そこの部分をよく考えれば、憲法9条は沖縄においても「問題の原点」と言わざるを得ないものである事は明白なはずなのですが、それについて完全に「見ないふり」する辺りがサヨクという連中ですからねぇ…ここまで書いたらあとは「沖縄と原発の実情は本当にそっくりなのか?」というのがあるかと思いますけど、これも単に「『そっくりだ』と主張したい連中がいるだけじゃないのか」と思いますよ、私的には。

|

« 「初めてだから…」ぢゃねぇよ馬鹿 | トップページ | ポッポの頭が申し訳ない »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 東京新聞コラム5/3~原則でなく元凶:

« 「初めてだから…」ぢゃねぇよ馬鹿 | トップページ | ポッポの頭が申し訳ない »