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2011年5月31日

ブサヨ、息も絶え絶えのご様子

東京新聞社説~君が代訴訟 少数者の「心」も大事に

【君が代斉唱時の起立命令は憲法に反しないと、最高裁が断じた。大阪府では起立・斉唱を義務化する条例案が提出されたばかりだ。国旗・国歌については、おおらかに考えてもいいのではないか。

 不起立を貫く教員は、東京ではいまや少数者である。昨年度の卒業式で処分を受けたのは、六人にすぎない。二〇〇三年度の処分者数は約百八十人で年々、激減した。〇三年に都教育委員会が出した「起立・斉唱」の通達が、いかに効力を発揮しているか歴然である。

 処分をめぐり数々の訴訟が起きた。〇四年に卒業式で起立せず、戒告処分を受けた元教諭のケースもその一つだ。不起立は「戦争の歴史を学ぶ在日朝鮮人、中国人の生徒に対し、教師としての良心が許さない」という意思だった。

 別の裁判の一審判決では「日の丸・君が代が軍国主義思想の精神的な支柱だったことは歴史的事実」と書かれたこともある。

 憲法一九条が保障した「思想・良心の自由」に抵触するかどうかが最大のポイントだった。最高裁は、校長が命じた起立・斉唱の行為を「慣例上の儀礼的な所作」という性質があり、「歴史観や世界観それ自体を否定するものではない」と合憲判断に導いた。

 懸念されるのは、大阪府の橋下徹知事率いる地域政党が、君が代の起立・斉唱を義務付ける全国初の条例案を提出したことだ。秋には複数回の違反で懲戒免職となる条例案の成立もめざしている。

 「公務員に(不起立の)自由なんてない」「三回違反すれば免職とするルールとすればいい」などと橋下知事は発言している。

 教員をクビにしてまで、君が代を押しつけることに、どんな深い意味があるのか。一九九九年の国旗国歌法が成立した際には、当時の小渕恵三首相は、わざわざ「新たに義務を課すものではない」と談話を発表した。野中広務官房長官も「むしろ静かに理解されていく環境が大切だ」と述べていた。少数者の思いを理解する寛容さがほしい。

 サッカーの国際試合やオリンピックなどで、大勢の国民が日の丸を振りつつ、君が代を口ずさむのは、決して誰かに強制されたものではないはずだ。

 判決の補足意見では「自発的な敬愛の対象となるような環境を整えることが重要」との一文があった。自然な方がいい。「歌え、歌え」と強制される君が代は、ややもすると「裏声」になる】

 原発問題ではさんざん「民意は脱原発だ!」とか民主主義をアピールしておきながら、この問題では言うに事欠いて「少数者の思いを理解する寛容さがほしい」ですか。こいつらは公序良俗や法律を乱すような「少数者の思い」、例えばテロリズムや倒錯性癖みたいなものまで寛容せよってんでしょうか?見苦しい事この上ありません。

毎日新聞社説~君が代起立判決 現場での運用は柔軟に

【学校行事の君が代斉唱時に起立を命じた校長の職務命令は、「思想・良心の自由」を保障した憲法19条に違反しないと、最高裁が初めての判断を示した。卒業式の君が代斉唱で起立しなかったことを理由に、定年後の再雇用を拒否された東京都立高校の元教諭が損害賠償などを求め訴えていた裁判だ。

 公立学校の教職員に対する君が代斉唱・起立をめぐっては、基本的人権としての19条と、「全体の奉仕者」として上司の命令に従わなければならない地方公務員の立場のどちらに重きを置くかにより、司法判断が分かれてきた。

 今回の裁判も1審の東京地裁は09年1月、職務命令は合憲としながら、定年前の一時期は命令に従っていたことから「裁量権の逸脱」として都に約210万円の支払いを命じた。だが、東京高裁は同10月、「都には広い裁量権がある」として元教諭の訴えを退けていた。

 元教諭は、「日の丸」や「君が代」が戦前の軍国主義との関係で一定の役割を果たしたと主張した。最高裁は「国歌の起立・斉唱行為は、式典における儀礼的な所作であり、職務命令は、元教諭の歴史観、世界観それ自体を否定するものではない」と、判断した。

 ただし、最高裁は「君が代の起立・斉唱行為には、敬意の表明の要素を含み、思想・良心の自由に対する間接的な制約となる面があることは否定し難い」との考え方を初めて示した。その上で、職務命令をする場合は、その制約が許される程度の必要性や合理性があるかの観点から判断すべきだと述べた。

 命令の目的や内容、制約のあり方によっては、認められない場合もあり得ることを示したものだ。

 須藤正彦裁判官は、補足意見で「本件職務命令のような不利益処分を伴う強制が、教育現場を疑心暗鬼とさせ、無用な混乱を生じさせ、活力をそぎ萎縮させるということであれば、かえって教育の生命が失われることにもなりかねない。強制や不利益処分も可能な限り謙抑的であるべきだ」と述べた。

 同感である。99年に国旗・国歌法が成立した際、過去の歴史に配慮して国旗・国歌の尊重を義務づける規定は盛り込まれなかった。教育現場の自治や裁量に委ねることが本来、望ましい姿ではないか。

 大阪府では、公立学校の式典で君が代を斉唱する際、教職員に起立・斉唱を義務づける全国初の条例案が府議会に提出された。今後、違反した教職員の処分基準も定める方針という。最高裁判決は、過度のペナルティーを認めたものではない。その点を踏まえた議論が必要だ】

 今後新たな君が代訴訟が起こった時、私たちは「ただし、最高裁は11年5月に『職務命令は合憲』とする判断を下している」という一文を堂々と書けるんですけど、変態もどうやら「補足意見」にすがるつもりのようですね。拘束力ありませんし、そもそも「個人的事情で教育現場に無用の混乱を生じさせている」のはサヨ教師の方だと思うのですが。

西日本新聞社説~君が代起立 条例で縛るようなことか

何と息苦しい-。そんな思いを多くの人が抱くのではないか。大阪府の橋下徹知事が代表を務める地域政党「大阪維新の会」の府議団が先週、入学式などの君が代斉唱時に教職員に起立・斉唱を義務付ける条例案を府議会に提案した。

 維新の会は先の統一地方選で躍進し、府議会で単独過半数を占めており、条例案は近く可決される公算が大きい。

 なぜ、いま条例なのか。橋下知事は「これは府民の総意。起立しないなら府民への挑戦だ」と発言したが、維新の会が君が代起立条例を公約にして府議選を戦ったわけではない。あまりに唐突だ。

 今春の入学式で起立しなかった府立高校教員が38人おり、そのことが橋下知事を刺激したようだ。だが、約9千人いる同じ教員のほとんどは起立している。

 そもそも、1999年に国旗国歌法が成立して以降、都道府県教委は君が代斉唱時の起立・斉唱指導を強化し、不起立の教職員は確実に減っている。大阪府も同様で、論戦が始まった府議会本会議では、府の教育長が「条例による義務付けは必要ない」と表明し、現場指導を徹底すれば十分だとの認識を示した。

 これに対して、橋下知事は指導に従わない教職員を力でねじ伏せ、排除しようとする姿勢があからさまだ。今回の条例案に罰則はないが、9月議会で不起立教職員の処分基準を定める条例制定を目指し、氏名の公表も検討するという。

 また、橋下知事は「服務規律の厳格化」を条例化の理由に挙げる。公務員の場合、起立・斉唱は職務であり、思想・良心の問題ではないという考えだ。

 ただ、国民は多様だ。「日の丸・君が代」が戦前、軍国主義の象徴としての機能を果たした歴史的経緯に思いを致す人も当然、いるだろう。国旗国歌法は起立・斉唱を強制しておらず、法成立時に当時の小渕恵三首相が「義務付けは考えていない」と政府見解を示している。

 教職員をめぐる国旗国歌訴訟では、最高裁が30日、起立・斉唱を命じた校長の職務命令を合憲とする初判断を出した。だが、職務命令や通達に従わない教職員への処分を「裁量権の逸脱」とする高裁判決もあり、司法判断は分かれている。

 それだけ人の内面に触れる問題は慎重に扱うべきだ。教育現場に強制はそぐわない。ごく一部の教職員の不起立をことさら強調し、条例を盾にすべての教職員を縛ることに強い違和感を覚える。

 さらに、今回の君が代起立条例案が府立学校だけでなく、府教委が任命・処分権を持たない大阪、堺両政令市を含めて全市町村立小中学校の教職員を対象としたことに、別の思惑を嗅ぎ取る向きがある。橋下知事が掲げる「大阪都構想」への布石ではないか、というのだ。そうした政治的意図もまぶした条例案だとしたら、なおさら疑問符が付く。

 自民、公明、民主など他会派は、府教育長と同様、条例化の必要性を認めていないという。慎重審議を求めたい】

 最高裁の判決が出た後なのに地裁や高裁の判決を持ち出して「司法判断は分かれている」とか言われましても…そもそも「国旗国歌には敬意を払う」なんてのは条例で縛る・縛らないという以前に、世界中どこの国でも当たり前の事ですよ。それを「憲法に規定された自由を侵害している!」とか難癖付けて最高裁まで争い、判決が下ってもなおブチブチ文句を言うような人間がいる事自体が私には疑問符です。息苦しいならそのまま息が詰まってしまえばいいのに。

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