東京新聞コラム6/10~目線の違い
【おなじみのダイエット(diet)という語には「常食」などの意味もあって、語源的には日(day)という語と関連しているともいう▼だから、海野弘著『ダイエットの歴史』は<一日に必要な定量>という意味合いが元来だろうとする。なるほど、わが腹部を見やれば、日々の<必要な定量>を超えた飲食の結果、ダイエットが必要になる、という関係が腹に落ちる▼この夏、私たちは節電、省エネを余儀なくされるが、それとダイエットは似ているように思う。適切なダイエットの効果と同じで、文化として省エネを深化させていければ、私たちの生活から過剰な便利という“贅肉(ぜいにく)”がそぎ落とされるだろう▼食事制限と同様、<必要な定量>を超える野放図なエネルギー消費に慣れた身に我慢は、つらい。けれど、その結果、社会も“スマート”になるはずだ。そういえば、この語には「賢い」の意味もある▼さて、ドイツが二〇二二年までの原発全廃を決めた。それに伴い、再生可能エネルギーの電力供給を倍増、10%の電力需要減も目指すというから大胆な“ダイエット”だ。電力輸入が可能など条件が違い、それらを日本が即、まねるのは無理という指摘も分かる▼だが、どうせ無理だとあきらめ、何も始めなければ“体形”は変わらない。まず肝心なのは「スマートな国」を目指すと腹を決めることだろう】
「あきらめていては始まらない」とは、まさかの精神論ですか。サヨク的な物言いを真似れば、「『一億玉砕』『欲しがりません勝つまでは』といったフレーズで国民を不毛な戦争に巻き込んでいった旧日本軍を彷彿とさせる」みたいな感じでしょうか?
ダイエットにしても、ただがむしゃらに運動や食事制限を試みるのと、カロリーの摂取と消費のバランス等を計算しつつ行うのでは、どちらが体への負担も少なく、確実に目標を達成できるかは言うまでもないでしょう。「アイツはあの方法でダイエットに成功した!私たちもマネしてみよう!うまくいくかは判らないけど、とりあえず始めてみようよ!」などというのは、個人レベルならともかく、国家のレベルでやる話ではありません。国家の命題は「いかにより多くの国民を豊かにするか」であり、サヨクだったらこの件は「原発廃止!」でお終いになるところを、国家は「原発に頼れない中、どうやって国内のエネルギー需要を満たし、国家経済を成長させていくか」まで考えていかねばならないのですから…「スマートな国」とやらについても、アンタらはともかく国民はどう考えていますでしょうかな?
見据えている位置が根本的に違うのに、的確な判断や指摘ができるものか、私にはハッキリ言って疑問です。無茶なダイエットは体を壊すだけです、もっともサヨクは「日本を破壊する」のが目的かも知れませんがね。
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