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2011年8月15日

8月15日のひとりごと~うすっぺらな平和

 皆さん、今日、2011年8月15日は何の日だかご存じだろうか。そう、新聞各社の休刊日である(笑)。終戦記念日だろうが何だろうが、月に一度の休刊日には必ず新聞制作を休むマスコミ連中。どれだけ偏向してようが与太話みたいな内容だろうが、とりあえず紙面を埋める事ができれば月々購読料が降ってくるという、まこと楽な商売ではないかなぁ。

 さて、そんなマスコミにテレビ・ラジオを加えたメディア諸君が毎年恒例でこの時期に繰り広げる「反戦・反核キャンペーン」も、終戦記念日の今日をもって一区切りというところだろう。戦後66年、この「8月ジャーナリズム」がいつ頃から始まったものなのかは知らない。しかし、その中身は毎年大差なく「戦争は悲惨だ、戦争は絶対にやってはいけない」と繰り返してきただけのように感じている。そこから先「平和を維持するためにはどうすればよいか」という議論について、「8月ジャーナリズム」を振りかざす連中の口から出てくる言葉はせいぜい「問題は話し合いで解決を」とかその程度で、彼らから平和維持のための具体論を聞いた記憶はまずないのではないか。

 まぁハッキリ言ってしまえば、平和を維持するための現実的な論議をしようとすると、必然的に国防力の向上、つまりは軍備増強を目指さなければならなくなるので、平和を愛する(笑)皆さんはそれを口にする事ができないというところなのであろう。だから彼らは「戦争は悲惨だ、戦争は絶対にやってはいけない」と、感情論でもって訴える事しかできないのだ。しかしそれでは、日本が新たな戦争を起こす事はなくとも、周辺諸国で有事が起こった場合、それに対応することはできまい。「ひょっとすると連中は、本当は『日本の平和』なんて望んでいないんじゃないか」と邪推したくなる。

 日本国憲法は前文において、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と謳っている。だが、現在この日本の周りに、「平和を愛する諸国」がどれだけあるものか。核兵器を保有・またはその疑いがある国、日本の資源や領土を狙う国、そんな連中ばかりではないか。連中は「日本は戦争放棄をした国だから」「被爆国だから」なんて躊躇するような事は決してないだろうし、むしろ手段にこだわらずに国益の最大化を狙うのが、本来の「国家」というものの姿である。

 「うすっぺら」とは漢字で書くと「薄っ平」なのだろうか。「平和」も当然日本語であるが、この平和の「平」の字は薄っ平の「平」、すなわち「日本でいうところの平和とは、理想論の域を出ず、現実の前にはあっさり破られてしまう脆弱な平和」という意味がこもってしまっているような気がしなくもない。先日このブログでは、原発廃止論についても「廃止のための現実的な道筋を示せなければ、原発をなくす事自体には賛成の国民もついていけまい」と述べさせてもらったが、「平和の維持」についても同じ事が言えよう。「8月ジャーナリズム」のみならず、日本で「平和」を掲げる連中には、そうした現実を直視した上でそろそろ具体的な議論を始めて頂きたいところなのだが、まぁ期待はするだけムダだろうか?

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