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2011年8月 1日

東京新聞コラム8/1~メディアというより反核団体

東京新聞「筆洗」8/1付

「七万人が自宅を離れてさまよっている時に国会はいったい何をやっているのですか」。火を吐くような気迫に衆院委員会室は静まり返った。先週、厚生労働委員会に参考人として呼ばれた東京大アイソトープ総合センター長の児玉龍彦教授の発言だ▼教授の試算は衝撃的だった。福島第一原発の事故で漏出した放射性物質は広島原爆の約二十個分。一年後の残存量は原爆の場合、千分の一に減るが、原発から出た放射性物質は十分の一程度にしかならないという▼福島県南相馬市で自らが手掛けている除染活動を通じ、内部被ばくから子どもを守ろうとする責任感が伝わる発言だった。国会の怠慢を厳しく批判する先には、動きがあまりにも鈍い国への憤りがある▼細野豪志原発事故担当相は日本記者クラブでの記者会見で「除染作業こそ国家的プロジェクト。福島の皆さんに希望を持っていただける」と語っている。今後、除染作業が兆単位の公共事業になるのは間違いない▼児玉教授は、民間の技術を結集し直ちに国の責任で除染研究センターを設置するよう求めた。避難住民を無視した利権まみれの公共事業にしてはならない▼「人が生み出した物を人が除染できないわけがない。福島におけるセシウム除染は、次の世代への日本の科学者の責任である」。教授は医学雑誌にそう記した。学者の良心に希望を感じる

>国会の怠慢を厳しく批判する先には、動きがあまりにも鈍い国への憤りがある

 国民の生命が脅かされている、しかし国の動きはあまりに鈍く、あまつさえ時の首相にまで黒い疑惑が浮上している…先月21日の参院予算委員会において、参考人として出席した増元照明氏が訴えた、拉致問題への早急な対応(及び、空き缶の献金疑惑についての説明)を求める声は、その図式からして今回の児玉龍彦教授の発言とやらと大差ないものと思うのですよ。しかし一方はこうやって1面コラムで取り上げられ、もう一方は紙面において、そういう事実があった事すら伝えられず。この差は一体どこから出てくるんですか?

 結局それってのは、反核・反原発で親民主党・親特アという、サヨク東京新聞のスタンスによるものなんでしょうね。まぁマスゴミ全般に言える事ですけど、自分たちの論調にとって都合がいい情報は優先的に流し、そうでない情報は隠蔽するという。連中に言わせれば「紙面もスペースに限りがあるのだから、掲載する情報はこちらで判断する」という話なのでしょうが、その判断基準が本来報道に求められる「公正中立」から著しく外れているために、児玉教授の発言は取り上げられ、増元氏の訴えは黙殺される(そして空き缶の献金疑惑も申し訳程度にしか触れられない)ような事が起こるのです。まったくもって、マスゴミの良心とやらには何の希望も感じません(そもそもあるの?)。

 いっその事東京新聞は、「我々は反核・反原発が第一だ。拉致問題も一国の首相の不祥事も、核に関わらぬ問題は扱う価値がない」とか明言されては如何でしょう?そうすれば、これまで東京新聞をマスコミとしての体裁の面から叩き続けてきた私も諦めがつくというものです。しかし、その代わりにもう「新聞」などとは名乗るべきでないですし、読者にもそれをはっきり示した上で、購読を継続するか否か改めて判断させるべきですよね。是非ご一考を。

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