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2011年8月10日

東京新聞コラム8/10~サヨクは夢を語るだけ

東京新聞「筆洗」8/10付

【詩人の吉野弘さんには、思わずはっとさせられる漢字遊びの詩がある。気を引き締められるのは、「『止』戯歌(ざれうた)」と題した一編だ▼<「正」は「一」と「止」から出来(でき)ています。信念の独走を「一度、思い止(とど)まる」のが 「正」ということでしょうか>。狭くなった視野を少し広げてごらんよ、という勧めに思える▼<正しさを振りかざす御仁(ごじん)ほど 自分を顧みようとする資質を欠いているようです。正義漢がふえると、揉(も)め事もふえるのは そのためです>。実は、正義ほど厄介なものはないんだよ、という詩人の心のつぶやきが聞こえるような気がする▼今年も広島、長崎の原爆忌が過ぎ、六十六回目の八月十五日を迎える。真夏の太陽の下、背筋を伸ばして「玉音放送」に聞き入った人たちは少なくなり、戦争体験という「背骨」を持たない私たち世代の平和の誓いは、どこか抽象的で頼りない▼七十年前、米国との戦争になだれ込んだ時、開戦に反対する良識的な声は「正義の戦争」を叫ぶ声の前に圧殺された。少数意見を尊ぶことの意味を、三百十万人に上る犠牲と引き換えに学んだはずの私たちは再び、「敗戦」の真っただ中にいる▼<自我を折ることが出来て 初めて祈ることが出来る>(「折と祈」)と吉野さんは書いた。八月ジャーナリズムとやゆされてもいい。鎮魂の夏、祈りのこもった記事を届けたい】

 「私たち世代の平和の誓いはどこか抽象的で頼りない」って、サヨクが主張するところの「平和」ってヤツは、戦争体験があるとかないとか関係なしに、現実性に欠けてると思いますよ?アンタらはいつも頭の中のストーリー優先で、都合の悪い現実は一切見ないじゃありませんか。

 例えば今月6日の「広島原爆の日」、東京新聞は社説やコラム以外にも見開き2ページを使って、「脱原発を目指そう」という趣旨の論説を載せてました。しかしその中には、原発を廃止し、そして自然エネルギーに移行するまでの間、震災復興や経済活動に求められる電力をどう安定的に供給させるかという言及は一切ありませんでした。以前の社説で「暑かったら無理をせず冷房を使うべき」などと書いておきながら、その電力はどこから持って来いと言うのです?

 いくら今度の震災で原発の問題が明るみになったとは言え、実際にそれを転換しようとするなら、そこに至るまでの具体的な道筋が示されなくては国民は動く事ができません。それを示すべきはまず、反原発派を訴えてきた方々の役目であるはずなんですけど、どうやら彼らは「電力の安定供給」という問題には触れたくない様子ですのでねぇ…そんな体たらくの連中の主張が、世間にどこまで受け入れられる事やら。

>八月ジャーナリズムとやゆされてもいい

 私にはこの言葉は「現実に則した事は書きません」という宣言のようにも聞こえます。皆さん、こんな新聞とるのは止めた方がいいですよ?

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