東京新聞コラム8/22~要は頭が悪いんですね?
【ある大学で講義のまね事のようなことをした時、数十人の学生に聞いてみたことがある。「今後も原発は維持すべきだと思う人」▼すると、すぐに三、四人が挙手した。これは実は想定外で、本当は「誰も挙手できないよね。それだけ聞かれても、ほかにどんな選択肢があるか分からないうちは判断できないのが当然だ」と、続けるつもりだった▼ところで、「脱原発」路線への異論というのは大要、「脱原発→電力不足→生産拠点の海外移転→産業空洞化→日本経済大打撃」という構図で語られることが多い。つまり、「日本経済をダメにする脱原発」か、「日本経済を守る原発維持」か。あたかも選択肢はほかにないかのようである▼人によっては、「脱原発を進めれば日本経済はダメになる」と脅されている気になろう。あの、すぐ「維持」に手を挙げた学生らも、あるいは「原発は怖いが背に腹は代えられない」と思ったのかもしれぬ▼だが、背も腹も守る、即(すなわ)ち、再生可能エネルギー拡充のほか、電力消費の過半を占める家庭やオフィスで大胆な省エネを進め、製造現場の電力は確保するという道だってあろう。つまり、「日本経済を守りながらの脱原発」という選択肢はちゃんとあるはずである▼効用も負担も含め、政治は考え得るあらゆる選択肢を示すべきだ。それでやっと、私たちは手を挙げることができる】
「選択肢がAかBか」という状況で、「いや、AとB、同時に選ぶ方法があるはずだ!」と言いつつ、「方法は他の誰かが示せ」というのはもうアホかと。「手を挙げたい選択肢がない!」と言うのなら、既に出ている選択肢の中から選ぶか、選択を放棄するか、あるいは自分たちが新たな選択肢を示すというのがフツーですよね。コイツらの言ってる事は「とにかく脱原発じゃなきゃヤダ!」という、単なるワガママに過ぎません。昨今の各メディアによる世論調査だって、「今すぐ原発を廃止しろ」は少数派なんですが…。
まぁ、そんな能無しサヨクの東京新聞に一つ現実的な選択肢を示してやるとすれば、「再生可能エネルギーの技術が十分に拡充してからの脱原発」コレしかないでしょうね。このところこのブログ内で繰り返し主張してますように、「エネルギーの転換」ってのは将来に向けての話であって、震災の痛手からの回復を差し置いてまで、直ちにやらなければならないというものではないのですよ(まぁ、反核イデオロギーにどっぷり塗れた連中にとっては事情が異なるのでしょうけど)。現実的でない案というのは、それだけで説得力を欠きます。原発事故の前、反原発を主張していた連中はずっと白い目で見られていましたけど、それは政府や電力会社の広報戦略以外にも何か理由があるのではないですかな?
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