被災地に続いて被爆地も
【菅直人首相は6日に広島市で開かれる「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)と、9日の長崎市での「原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」に出席する。枝野幸男官房長官が1日の記者会見で明らかにした。
首相は両式典であいさつし、核兵器廃絶に向けた取り組みに加え、東京電力福島第1原発事故を受け、原子力に依存してきたエネルギー政策を見直していく考えを表明する見通しだ】
【広島市で8月6日に営まれる原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)をめぐり、出席予定の菅直人首相が「脱原発」の政治パフォーマンスに利用しようとしているのではないかとの疑念が被爆者から上がっている。東京電力福島第1原発事故以降、原子力発電の是非をめぐり国民の議論がかつてない高まりを見せているが、多くの広島市民にとって「8・6」は原爆で亡くなった肉親や友人らに思いをはせる日。被爆者の一人は「静かに祈らせてほしい」と訴えている。
静かに祈る日
広島県海田町の田平福恵さん(85)と長男の康博さん(60)親子にとって、8月6日は昔から静かに原爆犠牲者の冥福を祈る日だ。
福恵さんが被爆したのは19歳。現在の広島市佐伯区に疎開していた妹を訪ねた翌朝、閃光(せんこう)を見た。
自宅に帰るため市内に入ろうとして、逃げ惑う多くの人々とすれ違った。電車の鉄橋を渡り、対岸まであと少しの場所で座り込んでいる男の子を見た。通りすぎようとしたが突然、男の子に足をつかまれた。「水」とつぶやく声を聞き、水筒の水を与えると、気持ちが途切れてしまったのか首ががくっと垂れた。「私が殺してしまったんだ」。胸に後悔が押し寄せた。
燃えさかる炎で進めなくなった。避難所で一夜を明かし翌日、再び自宅を目指した。線路沿いに歩くと、原爆ドームに近い相生(あいおい)橋のたもとで、捕虜とみられる米兵が後ろ手に縛られて座っているのを見た。通りかかった人たちが投げたのか、周りに石や缶が散乱していた。
帰宅するまでの記憶は断片的で、思い出せないことも多い。だが、鉄橋の男の子と縛られた米兵の姿は忘れられない。「これだけは、どうやっても消えんのです」と声を詰まらせる。
福恵さんは康博さんが幼いころから、その悲惨な体験を聞かせてきた。「絶対に戦争はしてはいけない。広島でどんな悲惨なことがあったか、息子に知ってもらいたかったから」
広島、長崎とも参列予定
菅首相は今月初めに「広島、長崎の式典に出席したい」と述べ、広島の平和記念式典と長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典(8月9日)に参列する意向を表明した。
菅首相は昨年、広島の式典後の記者会見で「国際社会では核抑止力は必要」と述べたものの、原発への言及はなかった。しかし、今年は「脱原発依存」を「個人的考え」として打ち出しているだけに、脱原発をめぐる発言も予想される。
康博さんは「広島で起きたことはきれいごとではない。それが分かっていて『来たい』と言っているのか。政治的な行き詰まりを打破するために、原爆の日を利用しようとしているのではないか。国内外で注目される式典を、政治パフォーマンスに使うなら来てほしくない」と語気を強めた】
【参考】ついに被災地からも…
そりゃあ全力でお断りしたいところでしょうなぁ。たとえ想いは同じでも、アレと同列だと思われるのは心外でしょうから。空き缶よ、「大多数の国民、特に被災地の皆さんは『今、解散しろ』と思っていない」とか、いつになったら夢から覚めるんです?
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