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2011年9月10日

東京新聞コラム9/10~自国民を守れない憲法なんて

東京新聞「筆洗」9/10付

【<立ち会へねば棺に納むを託したり愛犬の写真と「日本国憲法」>。銀行員だった長男の陽一さん=当時(34)=を9・11のテロで亡くした住山一貞さんはしばらくの間、文字を読む気が起きず、音楽も聴く気になれなかった▼生存を祈って歩いたニューヨークでの日々を思い出し、言葉を探して三十一文字に当てはめると癒やされる気がした。冒頭の歌はテロから七カ月後、陽一さんの遺体の一部が確認された後に詠んだ短歌だ▼なぜ憲法だったのか。あすの追悼式典に出席する住山さんにぶつけてみた。多くは語ってもらえなかったが、焼け跡世代の住山さんにとって、憲法は新しい時代への希望そのものだった▼平和を希求する憲法は、息子の生死の前になぜ無力だったのか。学生時代に陽一さんが使っていた憲法の教科書を棺に入れたのは、戦後日本への自問が込められているように思えた▼米国の対テロ戦争に反対しなかった住山さんだが、国際テロ組織アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディン容疑者の殺害に疑問を抱いた。「我々の目の前で、できるだけのことを明らかにすべきだった」と▼<公園のレノンゆかりの木陰にて平和を言はずテロを語りぬ>。あの9・11からあすで十年。首謀者は殺されても世界からテロの恐怖は消えない。憎しみの連鎖を断ち切る知恵がほしい。最も克服し難い人類の業であるが】

>平和を希求する憲法は、息子の生死の前になぜ無力だったのか

 そりゃそうでしょ、だって日本国憲法に謳われている「平和主義」は、日本人の平和を守るためのものではないんですから。日本が外交手段の一つである戦争を放棄して、それで得をするのは日本から攻撃される心配がなくなった諸外国ですし、専守防衛の概念ってヤツは、仮に他国からの攻撃があると判っていても、実際に被害が発生しない限りは対処してはならない、ってものですもんねぇ。さらに、前文に記述がある通り、日本国憲法の平和主義は「国際社会の平和を求める意志を信頼する」という前提のもとに構築されているのですから、逆に考えれば「国際社会の悪意に対しては無力」とも言えるんじゃないでしょうか?

 そもそも第二次大戦の折、戦勝国側が主導して作った「日本に二度と戦争をさせない」ための憲法ですからねぇ…この憲法を堅持していこうと訴える連中が守りたい人々ってのは、一体どこのどなたなのでしょう?

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