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2011年10月 4日

東京新聞コラム10/4~「検察憎し」のあまり頭が?

東京新聞「本音のコラム」10/4付

検察の理念 鎌田 慧

【「無実の者を罰し、あるいは、真犯人を逃して処罰を免れさせることにならないよう、知力を尽くして事案の真相解明に取り組む」

 最近、最高検が発表した「検察の理念」。厚生労働省の村木厚子局長を陥れるために、証拠を改ざんするなどの検察の犯罪が明らかになり、「行動基準」を作成した。

 しかし、「無実の者を罰」しないのと、「真犯人を逃さない」という基準は、たがいに矛と盾の「矛盾」であって、両方がんばれ、とハッパをかけるのでは、一体どっちに重きを置くんだ、と突っ込みたくなる。

 この文章では「真犯人を逃さない」というフレーズが、「無実の者を罰」さない、よりも三倍以上も字数が多い。まるで「無実者」の救済よりも「真犯人」逮捕に力を入れているようだ。いうまでもなく、捜査の理念や精神というなら「九十九人の犯人を逃しても、一人の冤罪者をつくるな」に徹してほしい。

 「役に立つ者は行政庁にゆき、役に立たぬ者が判事、検事となっている」と平沼騏一郎が嘆いた明治末期、社会主義者を遮二無二検挙、処刑した大逆事件や戦中の横浜事件などへの反省と、先輩検事の犯罪に対する批判から出発すべきだ。

 検察が信頼されるためには、狭山事件や袴田事件などいまだに解決しない、長年の冤罪事件の証拠の全面開示が必要だ】

>「無実の者を罰」しないのと、「真犯人を逃さない」という基準は、たがいに矛と盾の「矛盾」であって、両方がんばれ、とハッパをかけるのでは、一体どっちに重きを置くんだ、と突っ込みたくなる

 私にはこの2つの基準は、単に1つの理念について異なる2つの面から見ているだけであって、矛盾も何も存在しないと思うのですが。

>「真犯人を逃さない」というフレーズが、「無実の者を罰」さない、よりも三倍以上も字数が多い。まるで「無実者」の救済よりも「真犯人」逮捕に力を入れているようだ

 字数が違うってだけでこのイチャモン、どこのチンピラですか?

>捜査の理念や精神というなら「九十九人の犯人を逃しても、一人の冤罪者をつくるな」に徹してほしい

 究極的には検察が犯罪捜査の一切を放棄すれば「犯人は一人も捕まらないが、冤罪者も当然出ない」という状況が作れますが、そういうのがお望みなんですかな?サヨクの言葉をいちいち聞いてたら、社会秩序も何もあったものじゃありません…。

>明治末期、社会主義者を遮二無二検挙、処刑した大逆事件や戦中の横浜事件などへの反省と、先輩検事の犯罪に対する批判から出発すべきだ

 一体どこまで遡って反省しろと?成田闘争に加わってたからかどうかは知りませんが、社会主義者に対する弾圧はたとえ生まれる前のものであっても許せないんでしょうかね?

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