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2011年10月 5日

「脱原発」だけが民主主義?

発信箱:民主主義の波=滝野隆治(社会部)

先月19日に東京・明治公園で開かれた「さようなら原発」集会にはどうしても身を置いておきたかった。大江健三郎さんらが呼び掛けたこの集会の成否が、今後の原発のあり方に影響を与えると考えていた。60年、70年安保のデモの熱情を知らぬ者として、「民主主義の現場」を見ておこうと。

 ステージ正面、労組の旗がはためくエリアにいたから分からなかったが、会場に入りきれないほどの参加者がいたと同僚記者から聞いた。赤ちゃんを抱いたお母さんや若者の個人参加が目立ったという。6万人(主催者発表)の熱気と圧迫感。「聞こえないよー」の声が遠くから聞こえる。デモ開始を待ちきれない一団が太鼓をたたき始める。そういえば、アイドルグループが「ダ、ダ、ダッ、脱原発!」と歌っていた。深刻なテーマを軽やかな雰囲気にするのもこの時代のスタイルであろう。

 真夏を思わせる日差しで熱くなったアスファルトに座り、スピーチに聴き入った。一番心にしみたのは、福島から参加した武藤類子さん(58)の話だ。まるで詩のように、続く言葉。「逃げる/逃げない、食べる/食べない、洗濯物を外に干す/干さない、子供にマスクをさせる/させない……」。そうなのだ、福島の人たちは暮らしの中で日々、重い決断をしているのだ、いまも。「何かにもの申す/黙る……」

 原発から45キロ離れた福島県田村市で喫茶店を営んできた。周囲のキイチゴ、ドングリを使ったメニューを出せず、店は再開できないでいる。武藤さんはステージの上から波を見た。88年、チェルノブイリ原発事故2年後の東京デモに参加したときより、何倍も大きな人の波、波。黙ってはいられない。「あの時もすごかったけど、何年かたつと忘れられてしまった。今度こそ忘れないでほしいのです」】

 話に聞く限り、安保闘争はとても「民主主義」などと言えるものではないように思うのですが。まぁ今回の脱原発デモ、雰囲気が当時と似ていたであろう事は否定しませんけど、「『民主主義の現場』を見ておこう」と言うなら、何故反中デモやフジテレビデモなどについては一切言及しないんでしょうかね?

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