東京新聞社説3/12~さっさと具体案出してみろよ
【福島原発事故から一年。目に見えない放射能が大地を覆い、地域の絆を引き裂いた。原発に頼らないとは、持続可能という豊かさを得ることでもある。
「原子力エネルギーには百パーセント反対しています」
先月末、名古屋大環境学研究科が主催した震災一年のシンポジウム。特別講演に立ったドイツの世界的核物理学者、ことし八十三歳になるハンス=ペーター・デュール氏は、こう切り出した。
不確定性原理を提唱したハイゼンベルクの後継者。ハイゼンベルクはナチスに原爆製造を命じられ、わざと完成を遅らせたともいわれている。その明快なひと言に会場の研究者は、固唾(かたず)をのんだ。
◆平和利用という夢想
「平和のための原子力という考え方にも反対です。平和が前提であっても、軍事転用されないという保証はない。ヒロシマ、ナガサキに至ったその技術の開発を私たちは許してきました。その結果、多くの命を失いました」とデュール氏は言葉を継いだ。
そして、「最悪の事故に至る確率がゼロではなく、その結果が受け入れがたいものであるなら、迷わずノーといわねばなりません」と訴えた。核分裂の威力を知り尽くした白ひげの賢人は、それがいかに制御しがたいものか、骨身に染みているようだった。
デュール氏の言葉をただ礼賛しようとは思わない。だが、そこに、ある風景が重なった。
昨年のお盆のころ、福島県飯舘村を訪れた。原発事故の放射能が降り注ぎ、全村避難を余儀なくされた村である。
自慢の田園風景は荒れていた。雑草が生い茂り、いつもなら、稲穂が顔を出してもいいころなのに、田も畑も、畦(あぜ)や畝、空き地の区別もつかなくなっていた。空っぽの巨大な土の器が、目の前にごろごろと転がっているようだった。
雑草が枯れ野に変わり、その上に積もった雪が解けても、村人はふるさとに帰れない。
放射能で直接の死者は出ていない。しかしあの風景は、いわゆる倫理というべきものに、もとるようだった。
デュール氏の国ドイツでは、福島の事故に当事国より機敏に反応し、すべての原発を二〇二二年末までに、段階的に廃止していくことにした。「過敏」との指摘もあるが、強大な原子の力を正しく恐れているだけとも言える。
当事国の日本政府は、原発をどうするか、エネルギーをどうしていくか、具体的な未来図も工程表も示さないまま、原発の再稼働を急ぎ始めた感がある。
◆棚上げにしたまま
理由は夏の電力不足と、それが及ぼす経済への悪影響。技術的根拠は電力会社がコンピューターではじき出し、自己申告した安全性評価のデータだけ。消費者の疑問には、ほとんど答えていない。
日本の電力供給力は本当はどれだけあって、コストはどれだけかかり、いつ、どこで、どれだけ足りなくなるか。電力会社はどれだけ融通し合えるか。根拠を挙げてわかりやすく示してほしい。一方的に節電や値上げを押しつけられた揚げ句の不安な再稼働。不信の溝はますます深まるだけだ。
津波や電源の対策は型通りに進んでいる。しかし、地震の揺れはどうなのか。福島第一原発事故も、揺れによる配管の破断から始まったという指摘がある。
例えば東京電力は、〇七年の新潟県中越沖地震を受けて、柏崎刈羽原発で予想される揺れの強さを最大五倍に引き上げた。ところが東日本大震災の激震は、それを大きく上回る。原子炉本体や複雑な配管、数多い溶接部分は、局所的な強い揺れにも耐えられるのか。日本は世界有数の地震国である。
目下の不安には、使用済み核燃料の行方もある。原発施設に併設された燃料プールは早晩いっぱいになる。核燃料のリサイクルは絶望的で、使用済み燃料を再処理した後の高レベル放射性廃棄物は、処分場すら決まっていない。
このように深刻な疑問や課題を棚上げにしたままで、原発を動かし続けていいのだろうか。
◆原発の呪縛を解いて
原発依存の呪縛を解くために、当面何ができるだろうか。デュール氏の答えは「太陽」だった。石油やガス、ウラン鉱もやがては枯渇する。有限な資源をむさぼるような暮らしを改めて、無限の太陽光を効率良く使う工夫を重ねつつ、その他の電源を併せて地域に分散配置する。ドイツをまねようというわけでは決してない。日本には日本型の持続可能な社会があるはずだ。
原発なき社会は、貧しかった過去への逆戻りを意味しない。それは、持続可能な豊かさへ向けての進化である】
ここまでグダグダ文章書いて、結局「どうすれば原発に頼らなくても持続可能な社会が作れるか」という具体案が出てこないんじゃねぇ…多くの国民が納得できるような現実的な案が出てくれば、それこそ脱原発のスピードは早まるはずだと思うのですけど、対案もなしにただ「反対!反対!」と叫ぶだけでは、無責任と呼ぶしかありませんな。
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