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2012年5月 5日

浮かれる東京新聞に

東京新聞社説5/5~こどもの日に考える 未来を築く人たちへ

【原発ゼロ。特別なこどもの日。日本中どこの空にもこいのぼりが泳げるよう、大人たちが考え、話し合い、子どもたちより一足早く、行動を始める日。

 浜通りの潮風に、こいのぼりが躍っています。ことしは時折、手作りらしい緑色の小さなコイが、軒先で泳いでいるのを見かけます。原発のない未来を表す緑には、何色の風が似合うでしょうか。そんなことを考えながら、黄色い表紙の小さな絵本を開いてみます。

 「放射線になんか、まけないぞ!」(太郎次郎社エディタス)。福島県郡山市赤木小学校教諭の坂内(ばんない)智之さん(43)が福島の子どもたちのために書きました。

◆正しく恐れることは

 イラストは岐阜県土岐市の柚木ミサトさん、監修は独協医科大准教授の木村真三さんが、それぞれ担当しています。

 坂内さんと木村さんは紙幅の大半を費やして、放射線に関する素朴な疑問に答えます。

 放射線とは、人の体をすり抜けていく不思議な光のようなもの。

 その時に、かすかに体を傷つける。一度にたくさん浴びたりすると、小さな傷も治らなくなり、それがもとで重い病気にかかることがある。

 そうならないよう除染をするが、放射線や放射能(放射線を出す力)が、人から人にうつるというのは大まちがい-。

 何かを正しく恐れることは極めて難しく、そのためにはまず正しい知識が必要です。しかし、坂内さんが子どもたちに伝えたいのは、知識だけではありません。本当に大切なのは、正しく知って、正しく恐れ、乗り越える手だてを考えて、行動を起こすこと。この先何十年もの間、放射線とかかわりながら生きていく、福島の子なら、なおのこと。

◆地域のことは地域で

 坂内さんは「未来を生きるのは子どもたち。未来を築くのも子どもたち。だから、彼ら自身で未来を考え、話し合い、行動できる大人に育ってほしい」と願っています。そして、巻末に「わたしはみなさんのちからに、とても期待しています」と、メッセージをしたためました。

 福島だけではありません。3・11を心の節目に、「行動できる大人」を目指して、若い世代は考え始めているようです。

 「脱原発×STOP浜岡」代表で国際基督教大二年の関口詩織さん(19)に、原発を止めて将来、どんな社会をつくりたいかと尋ねると、「地域のことは地域で考え、地域で決めてもいい社会」と、即座に答えてくれました。

 例えばエネルギー一つとっても、需要に応じて右肩上がりに供給量を増やせる時代はそろそろおしまいです。供給力が許す範囲で、需要を賢く柔軟に、組み立てなければなりません。

 関口さんは、大小の電力会社と消費者が同じ土俵で話し合い、必要な量を地域で決めて地域でつくる、身の丈に合った地産地消の供給網を思い描いています。

 「化石燃料が底をつき、経済が傾き始めた今、ようやく私たちの出番が来たかと、正直ワクワクしています」。愛知県岡崎市の養護学校で教える星野百合子さん(27)は、本音を語ってくれました。

 大戦後の焼け跡に、先人が敷いたレールの上をひたすら進んでいくしかない、与えられたものの中から将来を選択するしかないと、あきらめていた。ところが、経済万能、大量生産、大量消費の価値観が大きく揺らげば、自らの居場所を創造できる。

 「目標は“国創り”。人ごとではなく“自分ごと”として、物事を考える人が集まれる場所をつくってみたい」と夢が膨らみます。

 今日から、この国は原発ゼロ。それだけで、何かが良くなるわけではありません。降り注いだ放射能は消えません。日々の暮らしは大量の電気を必要としています。根本的な解決は、次世代に託されます。しかし、福島の事故から一年余。私たち大人も、もういいかげん変わらなければなりません。考えて、決めて、行動できる自分を取り戻さねばなりません。

◆五月の空を取り戻し

 こどもの日。大人には“風送り”の日。子どもたちが五月の空を健やかに泳ぎ回れるよう、新しい風を送り続けたい。

 特別なこどもの日には、特別な緑の風を吹かせましょう。あらためて約束します。私たちは、みなさんの命と未来を脅かす原発への依存を反省し、持続可能で豊かな明日へ、迷いなく歩いていくと。

 みなさんには浜通りのすべての海岸線に、いつかまた五月の空を取り戻し、こいのぼりを自由自在に泳がせてもらいたい。みなさんの知恵と力に、私たちも、とても期待しています】

 あの3.11以降、すっかり「反原発団体の広報紙」と成り果てた東京新聞。今日は国内で稼働する原発がゼロになる日(ただし午後11時頃、しかも「予定」)という事で、朝刊は1面からお祭り状態です。「原発ゼロ時代に挑む」だの「新たな未来図築こう」など、まぁ言葉だけは威勢がいい感じですな。

 ただ、その「原発ゼロ時代」というのは10年、20年と先の話じゃない、明日からなんですよ。それに対して脱原発を唱えてきた連中の弁は、「去年の夏も足りたんだから今年も大丈夫ですよ」「みんなで節電して乗り切りましょう」などと、無策を通り越して無責任と言わざるを得ないレベルのものです。上の社説もさんざん「未来に向けてどうたら~」と抽象論ばかり述べて、「じゃあ明日からどうするの」という具体論は皆無です。さんざん脱原発を煽っておいて、後始末は全て他人任せとか、ヒドいもんですねアンタら。

 自由に過去と未来を行ったり来たりできるタイムマシンなんてのは、フィクションの世界にしか存在しません。未来とは、現実を一つ一つ積み重ねた後に辿り着けるものです。未来に目指すべきところがあるとしても、現実が途切れてしまえば、その先には進めないのですよ?もし今夏辺り、原発をゼロにしたが故の問題が現実に起きたなら、東京新聞ほか脱原発派にはキッチリ責任を取って頂きませんとねぇ…。

東京新聞「筆洗」5/5付

【台風で社が流された跡に、深い穴が現れた。学者が調べても見当がつかないほど深い。譲り受けた「利権屋」が都会で営業する。「原子炉のカスなんか捨てるのに、絶好でしょう」▼数千年は絶対に地上に害は出ない、と説得された村人は、利益の配分を得ることで納得。争って契約した原発企業は「原子炉のカス」を捨てた。汚物を長大なパイプで流し入れる計画も持ち上がり、都会の汚れを洗い流してくれた…▼星新一さんのショートショート「おーい でてこーい」のストーリーだ。発表されたのは一九五八年。日本初の商業原子炉が稼働する八年も前のことになる▼穴に放り込んだごみが、自分たちに降り掛かってくることを示唆して作品は終わる。原発や放射性廃棄物を過疎地に押し付けた果てに、取り返しの付かない原発事故を経験した今、作家の想像力に脱帽する▼国内の原発五十基のうち、唯一稼働していた北海道電力の泊原発3号機はきょうの深夜、運転を停止し、四十二年ぶりに「原子の火」が消える。再稼働ありき、という政府の安直な方針を世論が阻んだ歴史的な日になる▼「集団自殺」という言葉で再稼働を求めた政治家がいた。この地震列島で原発に依存したまま、大量の核のごみを未来の子どもに残すことこそ集団自殺の道だろう。「穴」に投げ込みたいのは、命を軽視する政治家や官僚だ

 私は「穴」に投げ込むべきは、大災害を利用して自らのイデオロギーの実現を目論む連中だと思いますがね…アナタ方こそ、被災者の方々の命を軽視してやいませんか?被災地の復興にだってエネルギーが必要なのです、ましてあの震災からの復興となると、それは国家が総力を傾けなくてはならないほどのものである事は間違いありません。しかしまた、エネルギー政策の転換というのも、同じく国家規模の大事業です。これを同時にやろうとして、果たしてうまくいくとお思いですかな?私は今の日本政府には、そんな力量も財政的余裕も存在しないと考えているのですが。

 また、未来の子どもたちに残すべきでないというものも、それは核のゴミ以上に、国土的にも財政的にも疲弊した日本という国なのではありませんか?「反核」に囚われ、思考がそこから抜け出せない東京新聞が指し示す道こそ、まさに集団自殺の道でしょう。情報を極端に取捨選択し、世論をアンタらのイデオロギーに沿った方向に誘導しようとするのは、報道機関の本来の役割からも外れる行為として、一刻も早く止めて頂きたいものですなぁ。

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