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2012年8月20日

東京新聞社説8/20~17-10=?

夏の節電 見据えよう「原発ゼロ」

東京電力の原発事故から二度目の夏。節電が定着し、ピーク需要が事故以前に比べ一千万キロワットも下がっている。関西電力以外の原発はすべて止まったままだ。原発ゼロ社会を見据える好機としたい。

 事故の前年、二〇一〇年夏の東電のピークは五千九百九十九万キロワットに達した。今夏は七月二十七日の五千三十八万キロワットが最大で、五千万キロワットを超えたのはこの一日だけだ。それ以外は猛暑日でも四千九百万キロワット前後と、供給能力の八~九割に収まっている。

 電力消費は企業活動が本格化する九月に向かって増える傾向にあり、楽観は禁物だが、昨夏から続く一千万キロワット規模の節電は揺らいでいない。工場や商店、家庭を問わず、エアコン、冷蔵庫の設定温度を調整して冷やしすぎに気をつける。こまめに消灯する。地道な省エネの積み重ねが、原発十基分にも相当する節電を支えている。

 東電の供給地域は首都圏を中心に一都八県。事故直後には計画停電が実施された。放射性物質が飛び散り、除染作業を強いられた地域も少なくない。こうした体験が節電文化を育んだというべきだ。

 現在、日本の原発は再稼働した関電の大飯原発を除き、すべて止まっている。管内にトヨタ自動車を抱える中部電力は、需要に対する供給余力を示す予備率が一時7%前後にまで下がったが、なお余裕を残している。原発ゼロ社会に等しい今の日本の姿であり、原発に頼らない社会に向けた実験の真っただ中にあるようにさえ映る。

 経済界は危機感を募らせているのだろう。経団連の米倉弘昌会長は、三〇年の原発依存度として政府が示した「0%」「15%」「20~25%」の選択肢を牽制(けんせい)した。依存度を下げれば代替する天然ガスなどの調達費がかさんで電気料金が高くなり、企業の海外進出、雇用悪化を招くとの批判だ。

 コストばかりに目を奪われる経営者の域を出ていない。高放射線量によって十六万人もの福島県民が故郷を追われた「人間の被害」の視点も抜け落ちている。燃料が高いのなら、電力業界や商社とともに中東、マレーシアなどよりも三~四割安い米国産シェールガスの輸入を実現する。それをリードするのが経団連の役割だ。

 今、求められるのは長崎市長が訴えた「放射能に脅かされない社会」ではないのか。限りなく原発ゼロの今を直視しながら、国民一人一人がエネルギーの将来をじっくり考える。残りの夏をその機会に充ててみてはどうだろう

 …あのですね、東電管内に原発が何基あるかご存じないんですか?福島第一に6基、第二に4基、新潟柏崎刈羽に7基の計17基ですよ?原発10基分に相当する節電ができたとして、それでもなお7基分の電力を何とかしなくてはならないというところは、2桁の引き算ができれば判る事なんじゃありませんか?

 その7基分の電力ギャップは、このブログではもう何度も書いてますけれど、現在各電力会社が赤字を出しながら、火力をはじめとする原子力以外の発電方法で何とか埋め合わせをしているのですよ。民間会社が赤字を垂れ流しながらの操業など、持続的なものであるはずがないでしょう?このギャップを安定的に賄えてはじめて、「原発がなくても電力は足りている」などと言う事ができるのです。

 また、東京新聞は「安いシェールガスを輸入すればいい」などと無責任な楽観論を述べておりますが、世の中そんな簡単にいくなら誰も苦労しませんよ。売り手の側はこちらの足元を見て、少しでも高い値段をつけようとするに決まってますし、為替の問題などもあるでしょう。経団連を「コストばかりに目を奪われる経営者の域を出ていない」などと批判するワリに、自分たちは経済観念ゼロの妄想を批判の相手に押し付けてるじゃありませんか。反核・反原発で頭がいっぱいで、小学校の算数すらできなくなってしまった東京新聞、考え事をするなら現実を直視してからになさい?

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