東京新聞社説9/12①~聞く価値のない「声」もある
【垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの米軍普天間飛行場配備に反対する沖縄県民大会は、無視し得ない民意のうねりを示した。日米両政府は県民の声を受け止め、配備を強行してはならない。
普天間飛行場のある沖縄県宜野湾市で開かれた県民大会には、主催者発表で約十万一千人が集まった。米軍基地をめぐる県民大会では過去最大規模だという。一九五六年、米軍統治下で起きた大規模な反基地運動「島ぐるみ闘争」再来の様相だ。
大会あいさつで、宜野湾市の佐喜真淳市長は「安全性の担保のないオスプレイを、何一つ改善のないまま持ち込もうとしている」と日米両政府を批判した。
機体構造の複雑さ故に開発段階から墜落死亡事故を繰り返すオスプレイは、二〇〇七年の実戦配備後も今年四月にモロッコで、六月には米フロリダ州で墜落事故が起き、今月六日には米ノースカロライナ州の市街地に緊急着陸した。
安全性に懸念が残る飛行機を、「世界一危険」として返還に合意した普天間飛行場になぜ配備するのか。沖縄県民の反発は当然だ。
米政府は、モロッコとフロリダの事故を「人為的ミス」と結論づけ、独自に検証したとする日本政府も、米政府の結論を追認した。
機体に問題ありとなれば配備できなくなるから、人為的ミスと無理やり結論づけたのではないか。そう勘ぐられても仕方あるまい。
そもそも航空機が度々、人為的ミスで墜落していいのか。万が一ミスがあってもそれを補い、最悪の事態を避けるのが当然ではないか。人為的ミスが頻繁に起き、そのミスを補えないような航空機を安全とは言えないのではないか。
そんな当然の疑問に、日米両政府は答えようとすらしない。
県民の反発はそれだけでない。在日米軍基地の74%が集中する沖縄に、普天間返還のためとはいえなぜ新しい基地を造るのか。米国内では住民への配慮でオスプレイ訓練が中止されたのに沖縄ではなぜ強行するのか。日米両政府の差別的構造にこそ怒っているのだ。
沖縄での県民大会に呼応して、東京でも国会を取り囲む抗議行動が行われた。野田佳彦首相は全国に連帯が広がりつつある沖縄県民の声と怒りを受け止め、米政府にしっかりともの申すべきである。
民主党代表選、自民党総裁選が行われ、新しい党首が選ばれる。米国や官僚言いなりの指導者は、今の日本には、もはや必要ない】
「無視し得ない民意のうねり」「日米は県民の声を聞け」って、しかし交渉というものは、互いに相手の意見を受け入れる余地があってこそ成立するものです。もしそれがないとすれば、「大きい声だが無視するしかない」という選択肢を作らざるを得なくなると思うのですがねぇ…果たしてその余地が、十万一千人だか一万百人だか知りませんけれども、大会に集まった人々にあるものか、それが気になるところです。
原発などでもそうですが、「100%の安全が確保されなければ認められない」というのは、およそ人間のやる事で100%などというものが存在しない以上、「交渉する気はない」と言っているのと同義です。だいたい、反対派はオスプレイを「危険だ!」と仰いますが、もし仮に「100%安全な体制」を日米両政府が整えられたとして、反対派の皆さんはオスプレイの配備を認められるのでしょうか?断言しますが、皆さんは「信用できない」とかいろいろ難癖をつけて、絶対にそれを許しませんでしょう?いかに環境が変わろうと、結論は一切動かないと判っている相手と交渉する意味って何なのですか?
交渉にあたって相手に100を求めるなら、逆に「何一つ得られない」というケースも覚悟すべきだと思いますよ。いかに数が集まろうと、ただワーワー声を上げているだけで何かが変わるほど、世の中は簡単にできてはおりませんので。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント