朝日新聞社説11/14~子のせいにするバカ親
【橋下徹大阪市長をめぐる週刊朝日の記事について、外部識者でつくる朝日新聞社の「報道と人権委員会」が見解を出した。
記事は、出自を根拠に人格を否定するという誤った考えを基調としており、人間の主体的尊厳性を見うしなっている――ときびしい批判が並んだ。
小紙社説の執筆を担当する論説委員室も、指摘はもっともだと考える。すぐちかくで働く仲間がおこした過ちであり、痛恨の極みというほかない。
橋下氏は国民が関心をよせる公人のひとりだ。生い立ちや親族を取材・報道すること自体は否定されるものではない。
だが、委員会の見解を引くまでもなく、生まれで人格が決まるような考えは明らかな間違いだ。また、一般にふれてほしくない事実を取りあげる場合は、必要性が伝わり、そこに踏み込むだけの説得力が求められる。ところが、記事からそれを読み取ることはできない。
具体的な地名をあげ、被差別部落があると書いたのも配慮を欠く。差別事件が題材のときなど、必然性があって明示する場合もある。しかし今回、言及した理由はどこにあったのか。
タブーを恐れず本音で切り込むことこそ、メディアの使命であり、雑誌の役割も大きい。だからといって記事の精度が低かったり、人権をないがしろにしたりする行いが許されるわけではない。当然の理だ。
私たちはこれまで社説で、表現・言論の自由の大切さを繰りかえし唱えてきた。
知識や意見、それに対する反論を伝えあい、共有することによって、ものごとを考え、議論を深める土台が形づくられる。民主主義を、強く、たしかなものにするために最も大切なものが、表現の自由である。
マスメディアだけの権利でないのはもちろんで、社会全体で守り、育てていくものだ。
一方で表現の自由は、名誉やプライバシーなど他の重要な価値としばしば衝突する。
その調和をどこに求めるか。表現にたずさわる者が悩んできたテーマであり、これからも悩み続ける課題だ。そこにしっかりと向きあわず、今回のようなひとりよがりの表現行為に走れば、人びとの批判を呼び、やがては公権力による介入など、深刻な事態を招く。
読者から「新聞と週刊誌で会社が別だといって他人事の顔をするな」との声も数多く届く。
この過ちをわが問題と受けとめ、社会の期待に応える報道とは何か、足元をかためて、その実現に取り組んでゆきたい】
週刊朝日の編集長ってのはここ2代朝日新聞からの天下りでしたし、人事権や編集権も全部朝日新聞が握っているそうですな…別会社とは言っても実質的に中身は同じであり、よって「外部識者の見解」とやらはそのまま朝日新聞にも当てはまるワケで。捏造や脱税などの反社会的行為にもいろいろ手を染め、社是で特定の政治家を攻撃するようなメディアが「社会の期待に応える報道の実現」とか、そういう台詞は一度倒産して出直してから吐きなさい?
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