朝日新聞コラム11/22~無能・無神経・無責任
【いまの時代なら誰にたとえられるか、斎藤緑雨(りょくう)は明治時代に毒舌の評論で鳴らした。簡潔な警句の数々は切れ味抜群、〈涙ばかり貴(とうと)きは無しとかや。されど欠(あく)びしたる時にも出(い)づるものなり〉というのもあってニヤリとさせられる▼鳩山由紀夫元首相が引退するとの報道に、緑雨の警句の一つが胸に浮かんだ。〈無邪気は愛すべく、無責任は憎むべし。されども無邪気は、無責任の一種なり〉。1世紀も前の言葉だが、鳩山さんのこのかたの言動を突くような冴(さ)えがある▼不信を決定づけた普天間問題の独り相撲も、「よかれと思って」やった結果だった。首相を辞めたときは引退を表明したのに撤回した。あれやこれや、どこか宇宙人的な「無邪気」が抜けきらずに、政治をかき回すことが目立っていた▼タカ派的な主張が幅を利かせる今、友愛を説く鳩山流の理想主義は貴重だ。リベラルの灯台であってほしいのだが、民主迷走の象徴になってしまった。そしてまた、お騒がせの引退である▼鳩山さんの顔が大きく刷られたマニフェストは総崩れの状態になり、次を問う政権公約が各党から出始めた。今の多党乱立を見れば、「鳩山版」は2大政党時代の懐かしい記念品になるかもしれない▼〈正義は呼号すべきものなり、印刷すべきものなり、販売すべきものなり。決して遂行すべきものにあらず〉。緑雨の反語的皮肉は、「正義」を「公約」に置き換えれば各党への牽制(けんせい)となろう。ひとりの政治家を見送りつつ、よく吟味したい】
リベラルの象徴があの男だってんなら、リベラルは一度死に絶えた方がいいと思います。アサヒも含めて。
【「波瀾(はらん)万丈だったが、政治家として幸せな人生だったと思う」。21日夕に北海道苫小牧市で会見した鳩山氏は、政界での歩みをそう振り返った。
17日に地元で衆院選の合同選挙対策本部を開設したばかり。21日は東京・永田町の民主党本部で野田佳彦首相と会談後、午後5時過ぎに硬い表情のまま苫小牧市のホテルに到着した。
会見の冒頭に「どうか結党の理念を思い、弱き者、小さき者の声に耳を傾ける政治をしていただきたい」などと用意していたメッセージを朗読。「党を立ち上げた責任がある。辞める気はなかったが、主張を貫くと党から公認されないことが日曜日(18日)に分かり、引退を決断した」「(会談した野田首相には)もっと包容力を持って行動してほしいと求めた」。言葉の端々に党を離れる無念さをにじませた。
鳩山氏は米軍普天間(ふてんま)飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の移設問題を巡り、09年衆院選の直前に「最低でも県外移設」と発言。首相になってから移設先を自公政権時代の同県名護市辺野古(へのこ)に回帰し、地元の猛反発を招いた。
この日の会見で「沖縄の問題にはこれからも何らかの形でかかわり、『最低でも県外』という言葉が事実となるように協力していきたい」と語ったが、辺野古移設を条件付きで容認する地元の「代替施設安全協議会」の仲嶺真明・共同代表(48)は「『最低でも県外』は政権を取るための方便で、沖縄を混乱させた。次の選挙で勝てないと考えて辞めるだけ。移設問題を放ったまま引退するのは無責任」と批判した。
「権謀術数と覚悟が必要な政治の世界では、やはり坊ちゃんだった」とみるのは放送タレントの松尾貴史さん(52)。普天間問題も「首相としての言葉の軽さが国民を失望させた。リップサービスで強がりを言って自分を苦しめた」と話した。
鳩山氏は偽装献金事件や実母から巨額の資金提供を受けていたことでも批判を浴びた。政治資金オンブズマン共同代表、上脇博之(かみわきひろし)神戸学院大大学院教授は「金持ちで一般の人の気持ちが理解できないことがよく分かった」と指摘。「マニフェスト(政権公約)で約束した企業・団体献金禁止に主導権を発揮すべきだったが、腰砕けになった。実現していれば後世に名を残したのだが」と振り返った】
今更どのツラ下げて沖縄に行くつもりなんですかね。SP雇うんなら自前でお願いしますよ?
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